厳しさと楽しさと

 週の頭に、届いてました。関西大学の靜先生の新著です。忙しいとわかっていても、ついページをめくってしまう。まだ今井先生の本も読み終わってないのに。

英語授業の心・技・体

英語授業の心・技・体

 はぁ〜。お噂以上に、厳しい先生ですね。

 こういうのを読むと、自分の授業に一番足りないのは「厳しさ」なんだなと再確認します。キャラ的な「厳しさ」というより、評価の「厳しさ」みたいなもの。生徒を厳しく診る目、厳しく鍛えるプロセスが、今のぼくの授業には欠けていると自覚してはいます。(まぁ、靜流から言えば、キャラ的な厳しさも、よい教師の資質としてデフォルトなんだろうけどね)

 自分なりにいろいろ学んで、授業のアイディアやスタイルを積み重ねてきたつもりです。いろんな人のお話を聞いて、本を読んで、いいなぁと思う先生に共通するのは、この「厳しさ」なんです。「こだわり」とも言えるし、「しつこさ」とも言えます。結局、生徒の力を伸ばすためには、生徒のパフォーマンスに「妥協しない」ことが大切なんだとわかってきたんです。

 で、そういう先生の授業は、必然的に「厳しい」スタイルが多い。そこが、またぼくを悩ませるのです。正直、自分のキャラクターを考えても、そういうスタイルは自分の肌には合わないんです。うーん、困った。おかげで少し前から、自分のスタイルを見失いかけているというか、なんだかわからなくなってきちゃってて、この本を読んでさらにドツボにハマった感じなんです。

 ここは超えないといけない壁なんだろうか。いや、壁なのは間違いないんです。問題は「どう超えるか」なんです。

 でも、思うのです。

 今の自分のスタイルを貫いたって、評価の「厳しさ」を徹底することはできるはず。楽しくて、力がつく授業はできるはず。基本的にはリラックスして受けられる授業。でも、大事なところで緊張感があふれる授業。それは、単純に「厳しい授業」をするよりも、難しいことなのはわかっています。でも、できるのであれば、ぼくはそっちを目指したい。

 いろんな人の本を読んで、話を聞いて、いいなと思うところを吸収して、ぼくなりの理想像ができてきた。でもそれをそのままやっている人はまだいないみたいだから、やっぱり自分が目指すしかない。これは奢りでもなんでもなくて、誰もがそうあるべきなんだと思います。

 これまでは、サークルなどをやりながら、「みんなで共有できる指導法を」なんて考えてきました。ベーシックな部分ではそういうことも大切でしょう。でも、その先にあるのは、やっぱり「その人らしさ」なんじゃないか。その人じゃないと、できない授業を追究したって、いいんじゃないか。つい最近になって(それこそ、今これを書いていて)そう思えるようになってきました。

 お恥ずかしながら、まだまだそんなことに悩んでいる10年目なのです。

#本日のBGM:Still a long way to go(OFF COURSE)