Twitter中毒

 あー、すっかりTwitter中毒です。

 mixiを始めたばかりの頃も、あのトップページに「コメントがあります!」の赤文字が見えたときの喜びが癖になって(わかるひとにはわかる)、たいして時間が経っていないのに何度も何度もmixiを開いてた時期がありました。「承認欲求」が満たされる気がするんでしょうね。もっと昔は、メーリングリスト。自分の投稿したメールに対してのレスがつくと、やっぱりうれしい。一日に何十通ものメールを書いていたものです。

 でもTwitterの場合、まだ使い始めて日が浅いこともありますが、自分のつぶやきをフォロー(定期購読)している人も少ないですし、ダイレクトメッセージやRT(引用してコメントすること)してくださる方も皆無。それでも、何度もTwitterのクライアントソフトを立ち上げてしまうのは、そのスピード感が魅力なのかもしれません。

 正直、Twitterの使用方法は、人によってまちまち。中高生の「リアル」みたいに、今やっていることをただ書き連ねる人もいるし、気になった記事や思いついたことを忘れないように蓄積していく人もいる。勝間和代さんをフォローしてますけど、この人はその両方をバランスよく使ってる感じ。本やブログになる前の「生」の素材をリアルタイムに放り込んでくれるので、これがどんな風に料理されるのか、実況中継的に楽しむことができます。まるで有名レストランの冷蔵庫の中を覗いている気分。

 Twitterの場合、1つ1つの「つぶやき」は140文字までと短めですが、フォローしている人が増えれば、画面上に流れてくる文章の量は膨大になります。しかも、クライアントソフトなどでうまく整理しないと、それらはなんの法則性もなく流れてきます。まるで言葉が降ってくる感じです。そんな言葉の雨に打たれながら、例えば英語教育とは全然関係ない視点で語られた言葉が、自分の中で別のものとつながったりするから面白い。

 だから、今回のTwitter中毒は、これまでのハマり方と、またちょっと違う感じがするのです。

 そして、この楽しみ方を冷静に分析してみると、このブログでご紹介しているCOSMOSという活動が、本来は「2ちゃんねる」のような匿名掲示板からヒントを得て始めた活動なんですが、よりTwitterに近い感じすることに気がつきました。この言葉のクラウドの中にいる感覚が、より「2.0的」だと思います。(これからは、COSMOSを「紙Twitter」とでも紹介してみましょうか)

 いろんな方が書いていますが、Twitterを始めると、メールが「スピード感のない」ツールに思えてくるから怖いです。手紙の延長線上にあるメールはやっぱり敷居が高くて、返信するのにすごくエネルギーが必要になりますよね。だから、離れた場所にいる複数でブレーンストーミングしていく時には、Twitterのようなツールの方が、よりストレスなくできるわけです。メールとTwitterの使い分けが、仕事術には求められていくと思います。

 しかし、そもそもそうやって分断されたメッセージの欠片ばかり扱うようになってしまうと、じっくりと長い文章を論理的に読み進めていくような作業が、どんどんできなくなっていってしまいそうで、ちょっと怖いです。脳が、小さい固まりや短いスパンしか受け付けなくなっているんじゃないかと不安になります。こちらもバランスが必要ですね。

 いずれにしても、時代の流れからいうと、生まれるべくして生まれたツールだと思います。みなさんも、少し試してみませんか。(いや、Twitter上でも英語教育をぼそぼそと語りたいだけなんです。)

 今日は考えながら書いて書きながら考えていますので、専門用語も含めて文章がわかりにくいかもしれませんが、ご容赦を。