「Twitter社会」論

 結局土日ともに部活でがんばりました。

 しばらくは大会等もなく、練習試合をしようにもインフルでできなかったりしてたので、紅白戦をたっぷりと。というか、紅白戦ができるだけの部員がいるようになったことが感慨深い。隣のバスケ部に来ていた卒業生がびっくりしてましたから。「あの頃は6人ぴったりだったのに…」って。

 午後はいつものお店でレッズ戦のテレビ観戦。レッズサポが自然と集まるので、わいわい楽しく見られるのはいいんだけど、どうもチームが不調続きのせいか、集まるサポもネガティブになりがち。監督批判も激しくなってるけど、個人的にはあんまり参加したくないなぁ。とはいえ、他にレッズ戦が見れるお店があればいいんだけど…。ついに自宅にCS導入するしかないかな。とりあえず勝ちゲームでよかった。

 午後は散髪。

 帰り道に寄った本屋で、「Twitter社会論」を見つけてしまったので、ついうっかり購入。いや、先日の「ほしい物リスト」に並べておいてなんなんだけど、まだまだ読みかけの本がたくさんあるので、もう少ししてから買おうと思ってたんだけど、店頭で見つけたらなんだかうれしくなっちゃって。変な感じ。どうも筆者をTwitterでフォローして日常を共有しているせいで、「身内」のような感覚が生まれているみたいです。それこそ、Twitterの社会的影響力そのものだよなぁ。恐ろしい。

 このブログの更新情報も、自動的にTwitterに配信されるようにTwitterFeedというサービスも利用し始めました。なかなか便利。

 本屋で元校長が組合を告発する刺激的なタイトルの本を発見し立ち読み。立ち読みなのでタイトルとか詳しい内容は控えるけど、なんだか極端だなぁという感想。本の中で語られる組合員の姿も、それを憂えてみせる元校長の姿も。教員になったばかりの10年ほど前に、ちょっとだけ「そういう世界」を垣間見てはいるものの、ああいう極端な世界を「全国津々浦々」と誇大に伝えないで欲しいです。目次やあとがきを見る限り、ずいぶん政治的なにおいもします。見ると最近やたら張り切っている感じがする某新聞社が出している本でした。先日、某メディア関係者との雑談でも話題になりましたが、なんか最近みんな極端じゃないですか? 右左が前よりはっきりしてません?

 Twitterで政治家のつぶやきを読んだりもするようになり、ネットでの選挙活動解禁に異論はないんですが、こういう流れが一般化してくると、一般人のネット利用の方がより歯止めが利かなさそうで、よっぽど不安です。夏の総選挙でも、うすうす感じていました。議論慣れしていない日本人には、二大政党制って向いていないような気もするんですけどね。というか、慣れるまでは結構面倒くさいプロセスがありそうで、それがすでに憂鬱だったりします。

 たぶん「人間関係」と「主義主張」の棲み分けが、日本人には難しいんだと思います。だからmixiあたりに政治的なことを書かれると、反応に苦慮してしまうことが(少なくともぼくの場合は)多い。その点「人」よりも「つぶやき(発言)」に依存するTwitterは、そういう日本人の世論を醸成する媒体として、mixiより「ゆるく」、2chよりは「広く」、Yahoo!掲示板より「深く」機能してくれるのではないかと期待しています。