目指してる、未来がちがう

 生徒会やら実行委員なんかとお仕事をしていると、「スローガンを決めよう」なんて場面がよくあります。まぁ、「学級目標を決めよう」なんてのも同じような感じでしょうけど、そこで感じるのは彼らのボキャブラリ(というかその組み合わせパタン)の乏しさ。スローガンなんだから多少ポップなものでいいよ、とこちらが腹づもりをしていても、出てくる案はどれも平凡なものばかり。さらに言えば、言葉にリズム感がない。音の響きとか、文字面の美しさとか、あんまり考えられないみたい。

 国語科の「広告を作ろう!」という単元でコピーづくりをやらせてましたが、そういうのがあまり活かされていない感じ。国語科の先生もとってもいい授業を準備されてたけど、期待されるような(あるいは期待以上の)作品にはあまり巡り会えていなかったご様子。

 前任校で教えていた頃は、結構素敵なものに出会えてたことを考えると、これは時代にともなう子供の変化・変容なのか、学校や生徒によって違うのか、それとも昔から中学生なんてそんなもんだったのか(=自分が歳をとったのか)、よくわかりません。

 ただ、ぼくはコピーライターやCMプランナーに憧れて、広告会社への就職活動をしていたので、個人的に「そういう世界」や「そういう作業」に興味関心がありますが、「人を引きつけるスキル」としてそういうスキルの基礎を身につける機会が、もっと義務教育段階であってもいいと思います。「ことばへの気づき」なんて「スローガン」も、そうやって(授業の中だけでなく)いろんな活動で地道に積み上げなければ定着していかないものだと思います。

 最近、気に入ったのは新しいシャープの企業スローガン。

「目指してる、未来がちがう」

 「、」の位置がすごく不自然ですけど、そのせいですごく意味深ですよね。「ちがう」がひらがななのもいいですね。これまでの「目の付けどころがシャープでしょ。」も印象的でしたけど、こうやって日本語で地味に訴えていく、そしてあえて定着したスローガンから抜け出していこうとする姿勢が、十分「シャープ」です。

 まぁ理屈を伝えていく以前に、とにかく、よいモデルにたくさん触れさせることが大切でしょうね。本当は英語と国語と美術と音楽と技術を足した「選択表現」なんて授業でばっちり鍛えていきたいなぁなんて妄想もしてしまいますが、とりあえずは生徒会や実行委員などの子たちにいろんなモデルを示しながら、厳しい「プロデューサー」となって、彼らの表現力を磨いていくことにしようかな。

 そういう意味では(最近ハマり過ぎな自分が怖い)Twitterなんかも、140字で不特定の人たちに「伝えて」いくんだから、自身のスキルアップに役立っていると思います。というか、フォローしている方々から「よいモデル」をたくさん見せてもらっています。

 ことばは、楽しみながら使っていく中で、身につけたいですもんね。