第5回「なんで英語なんか勉強するの?」

 呼びかけ人がまだ書いてないのも申し訳ないので、連休の最後に力を振り絞って書いておきます。いつもながらの後出しジャンケン。いや、だから他の方の記事は(影響を受けないように)じっくり読んでません。今思うことを率直に書いておこうと思います。

 今回のお題は、

「生徒に、『なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?』と訊かれたら、何と答えますか」

でした。

 「こんな質問が出るようじゃお前の授業もまだまだだな」とか言われそうですが、今でも時々言われてしまいます。そのたびに反省して、そんな質問が出ないように、いい授業をしたいなと心を新たにします。

 と同時に、別に疑問にも思わずに勉強していた子たちに向けて「英語学習の目的」を語るのもいいチャンスかなと思い、授業を止めてあえて全体に語ってしまうこともあります。

 20代の頃は、自分の経験から「英語を勉強していて得したこと」をよく語りました。

 プレミアリーグのチケットを日本の業者に頼んで押さえていくと1枚3万もするけど、英語ができてネットや現地で直接買えれば、定価の3千円くらいで買えてしまう。そういえば、修論プルーフリーディングの業者も、日本の斡旋業者を通すと10万円くらいしたけど、英語サイトで自分で直接申し込めば1万円くらいだったな。つまり「英語ができると、9割引きになる」なんて煽ります。もっと言えば「英語ができれば、9割は儲けになる商売ができるな」なんてことも。まぁ自分が儲ける側にならないまでも、中学高校くらいの英語ができれば、十分に9割引きは実現できるはずなので、いいカモにならないようにしたいね、と伝えます。

 でもそこで立ち止まりもします。それって「妥当な金額」なのかな。

 外国語ができるという職能の対価として得る金額として妥当なのかな。外国語として学んだ人たちはともかく、ネイティブ・スピーカーは丸儲けじゃん。ちょっと偏ってない? 時間的に本格的には語れないけど、英語ネイティブ優位になりすぎては危険、というお話をしておきます。「国際会議はお互いに外国語でスピーチすること」みたいな提案も。

 さて、最近はそんな風に英語が話せることのメリットを直接語るより、「外国語を学習する意味」みたいなことを語ってしまいがちです。

 となりの人の頭の中は異文化です。

 日本人同士であっても「あいつ何言ってんの?」なんて思うこともしばしばあるわけで、それは相手の頭の中には自分とは異なる論理や文化やルールがあって、みんなそれぞれの文化を摺り合わせながら生活してるんだよね。

 それなら外国語を話す人たちはなおさら。

 別の論理や文化やルールがあるから、そんな言葉になっている。まずはそういう「別の文化」の存在を肌で感じるために、外国語をわざわざ学ぶんじゃないかな、と思うんです。

 だから言葉が通じても、気持ちが通じないこともあるし、それでも妥協点を探してコミュニケーションを続けなければならないこともあるわけで、お互いに相手の文化を(理解できなくても)尊重しながらつきあっていければいいよね。

 もちろん別に英語である必要はないでしょう。

 スペイン語でも、中国語でも、タガログ語でも、手話でも、犬語でもいい。生涯にわたって、何か別の言語に関わる機会を持って欲しい。そのためのお試しコースとして、中学校の英語の学習があるんじゃないかな。

 ああ、そんな理屈っぽい話で納得してくれるでしょうかねぇ。ただ、1つの説明で全員を説得する必要もないとも思います。前述の「儲け話」に食いつく子もいるでしょうし、「英語できないと将来困るよ」みたいな叱咤激励で本気になる子もいるかも知れない。英語教師は(別にひとりで全部を負う必要はないけど)いろんなチャンネルで生徒たちにその意味を伝えていければいいんじゃないかなと思います。

 ということで、今回のみなさんの記事をこのあと改めて読ませていただいて、自分の中にいろんなチャンネルが増やせればと思っています。だから私は今回このテーマにしたのかも知れませんね。

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