子どもの学びの姿は「不易」

 おかげさまで、気がついたらこのブログへのアクセス数が140万を超えていました。今年の11月でブログ開設より9年を迎えますが、これだけ多くの方に読んでいただけたことを、本当にうれしく思います。来年は10周年。何か面白いことやろうと考えてますので、どうぞお楽しみに。

 ということで、たまには真面目に英語教育の話。

 今日は町の研修会で、東京学芸大学の粕谷先生をお招きしての外国語活動についての講演会でした。

 「インプットを大切に」というお考えの先生だとは伺っていて、勝手に「アウトプットだって大切じゃん」と思って構えて聞いてたんですけど、決してアウトプットを否定されないし、ただその順番と質と量を大切にしようというお話をしてくださったので、全然(こちらの勝手な)印象と違いました。やっぱりちゃんとご本人からお話を聞かないとダメですね。「言葉が使われている状態」を説明するのに、「枯れない泉」という言葉を使われていましたが、それはまさに軽妙で淀みない語り口のご本人そのもの。面白かったです。

 コンテクスト無視のゲーム。底抜けのハイテンション。実際の発話とはかけ離れたインチキチャンツ。全国津々浦々"Good"信仰。先生が語る現在の小学校での「残念な実践」は、中学校教員から見ると15年くらい前の「よくある中学校の授業」な気がします。少し前に「小学校英語は10年前の中学校英語を目指すのか?」という記事で、私も同じようなこと書いてましたね。昔の中学校向けの「ゲーム」を並べただけの残念な本が、たくさん焼き直されている現状は変わってませんね。

 「不易と流行」でいえば、学習指導要領は「流行」を追うけど、子どもの学びの姿は「不易」だ、とおっしゃります。まさにそうですね。そしてぼくが関心があるのも「不易」の方なんだろうなぁ、なんてことも考えました。

 ただ、先生の求める実践ができるのは、やはり専科の教員だと思います。丁寧に上質なインプットを与えられるのは、やっぱりその道のプロでしょう。今の中学校の教員でも、正直難しい人も多いと思います。先日のKATEで聞いた伊東先生(鳴門教育大学)のご講演でも、小中高で教えられる「英語教育のジェネラリスト」育成が望まれてましたけど、免許法の変更も含めて、急ぎ環境を整えていく必要があると思います。

 最近は、(一時期に比べると)いろんなご講演を「なるほど」と聞ける素直な心が戻ってきています。でもいろんな先生が、いろんな「なるほど」を訴えてくれているのに、どうして日本の英語教育は変わっていかないのだろう、とも思います。それはまぁ、投げかけられた「なるほど」を受け取っている我々英語教師の責任なのでしょう。2学期の授業を考えるこの時期に、刺激のあるお話を伺えてよかったです。改めて自分の授業を考えてみようと思います(がもう夏休みが終わる…orz)。