別の世界とつながること、それぞれの世界を尊重すること

 先日ある記事にコメントをいただきました。文面から察するに、おそらく現在の勤務校の保護者の方からだと思われます。あたたかい励ましの内容でとてもありがたかったのですが、コメント内に私の本名が書かれていたので、申し訳ありませんが非公開とさせていただいております。なにぶん匿名でブログを書いていますので、ご理解頂けると助かります。

 これまでこのブログには検索対象となるような文字列として自分の名前を載せていないのですが、いろんな関係から最近では名前で検索するとこのブログに辿り着くようになってしまっています。保護者のみなさんも、生徒も卒業生も、容易にこのブログに辿り着けるようになってしまったので、正直言うと書きにくいことが増えました。別に悪い事を書いたりするつもりは元々ありませんが、授業の仕掛けやその隠れた意図などをここに綴ってしまうと、手品のタネを(仮にショーの後からだとしても)バラしてしまっているようで複雑な思いになるんです。もしも英語教師になりたいという生徒がいたとしても、在学中には読まないでほしいのが本音です。中学生、という存在をメタに語れるようになる5年後くらいに読んでね、という気持ちです。

 だからまぁ、これまでにもこんな記事を書いたりして、ささやかにアピールはしているのですが、「ネット上に書く」ということは本来そうやって誰の目にも触れる可能性があるということだから、そもそも誰かのせいでもないし、過剰な期待もできません。

 そう考えると、本当に大切なことは、生徒の目には触れにくい「サークルやワークショップなどで対人での交流」や「英語教師向け書籍での活字での発表の機会」などでしか語れなくなっていくかも知れないな、とぼんやり考えています。今年度『英語教育』誌で書かせて頂いている連載も、まさに教師にダイレクトに伝えたい内容なので、ブログでは書けなかったようなことを書いています。あ、出たばかりの6月号にも登場してますので、どうぞご覧くださいね(宣伝)

英語教育 2015年 06 月号 [雑誌]

英語教育 2015年 06 月号 [雑誌]

 インターネットはいろいろな垣根を壊してくれました。距離という物理的な垣根を壊してくれたおかげで、日本中の(あるいは世界中の!)英語教師の方々と交流ができるようになりました。そのことが私の教師人生に与えてくれた影響は計り知れません。また、インターネットを通して教師の仕事ぶりを教師以外の方々に伝えることができるようになったことも、歓迎すべきことでしょう。

 一方で、 教師だけのコミュニティーというのは作るのは難しくなってきました。(教師用SNSというのもありますが、ブログなどのオープンなネット環境とはちょっと違うので、個人的にはあまり好きになれません。) FacebookTwitterなどを見ていても、自分の人生のそれぞれの段階での知人・友人がごちゃまぜにミックスされていて、私の友人同士で新たな接点が生まれたりするのは時に楽しくもありますが、それぞれの世界はそれぞれの世界として大切にしておきたい、という気持ちも生まれます。(それぞれの世界での私が、結構違う人間だったりもするので、それがバレるのが怖い、という説もあります)

 メディアの発達とそれを使う人たちの成熟によって、メディアそのものが持っている意味合いも変化していきます。それに合わせて、さらに我々自身が使い方を考えて行くことが大切なんでしょうね。