始業式でした。3年生はあと50日を切っています。1日1日が大切だなぁと感じます。始まりの終わり。終わりの始まり。
さて、1月になってからはブログ更新を頑張っていますが、やっぱりブログを書くと、それに対する反応がいただけるのがすごく楽しいですね。前回の記事に対して(というかそこから勝手に派生して)いろいろなやりとりをTwitterやfacebook等でしてくださっている方々がいて、それらを読んでたらとても面白かったです。
でもそれらのやりとりは私の元記事を遥かに超えた次元で語られてて、私もちゃんと理解できてるかわかりませんが、そうしたものを読んでいて私が考えたことをさらに追記しておきます。思考整理のための記事ですのでまとまりませんがご容赦ください。
ポイントは(元記事ではあまり詳しく書きませんでしたが)いわゆるTBLT的な意味での「タスク」と「意味順」の相性について。
構造と課題が必ずしも対応しないところが難しいですよね。つまり、ある課題の遂行に対して複数の構造で対応できると構造の序列がつかないというか。意味順はそこを突破する可能性があるとは思いますが、それでも意味順の中のどれがどれより難しいというのを決めるのがなかなか難しそう。
— tmrkn (@tam07pb915) January 6, 2019
意味順習熟度が研究的に難しそうだなと思うのは(実現できないというわけではなく)、誤りがあった時にそれをどう処理するか(何ができてないから間違えたのか)が大きいかもしれませんね。学習用にカスタマイズされすぎていて、誤りの原因を特定しづらそうというイメージ。
— tmrkn (@tam07pb915) January 6, 2019
ご指摘の通り、「このタスクで身につく(測定できる)英文法はこれ!」というような紐づけはできないでしょうね。ただ、後段の「意味順の中での難易度のランク付け」は難しそうですが、取り組んでみたい課題です。「どっちのほうが難しい!」は言えなくても、「どっちのほうが後になって表出する!」なら言えそう。ただ、どの現象が意味順的な意味での特徴的な現象なのかを定義するのかが難しそうですね。
タスクの難易度と言語の複雑さについても、
教科書通りの手順と言葉を選んで告白したってフラれることはままあるわけだから、たいていの言語タスクの複雑さに鑑みて、その達成を尊重しようとすればするほど、相手のあるコミュニケーションに関して、他者がそれを規範的に参照することにそれほど意味があるようには思えないんだよな。
— wtrych (@wtrych) January 6, 2019
とあるように、必ずしも相関するものではないかも知れません。学習者の習熟度が上がれば、同じタスクに取り組んでいても発話中に現れる英語の複雑さが増す(こともある)だろう、くらいの期待です。ただ、可能であれば「使おうと思えば使える表現が増えている」という実感を学習者に持たせることはできないだろうか、とは思います。
もちろん、タスクの達成にある特定の文法機能が肝になっているようなものがあればいいのかも知れないけど、どんどんTBLT的な「タスク」から離れていくので、それもどうだろう、という話にもなります。
私は、修士論文でCAF(Complexity, Accuracy, and Fluencyという言語の質的な側面を測る指標)を使って、英作文の分析を試みました。CAFが学習者の英語力(の一面)を測れるわけでないのはわかっていますが、「意味順」的な発達段階がそれを補えないかなぁ、と思い始めています。
ということで書いてみたけど、元記事から一歩も前に進んでいない気がしてきた。ぐるぐると同じところを回っている感じ。でもこういう感じ、嫌いじゃないなぁ。楽しいなぁ。
はてなブログに移転して、Tweetの引用が簡単にできるようになったので、つい嬉しくて機能を多用してしまいました。ご容赦を。