今日も思考垂れ流しの走り書き。ちょうど某研究グループで「要点を捉える」について考えているんだけど、いやこれ難しいよなぁ、という話。
概要把握は要点把握の手段ではないのか?
現行の学習指導要領では、理解の文脈(例えば「読むこと」)では、「必要な情報を読み取る」「概要を捉える」「要点を捉える」という3種類が提示されてるけど、境界線が結構あいまいだと思う。
特に「概要」と「要点」が微妙というか、相乗りしてる活動だと思うんだよね。例えば「要点」を捉えるためには、英文がどんな構成になっているかを捉える(つまり概要を把握する)必要があるわけで。「概要把握」って、「要点把握」のプロセスというか、そもそも目的がなかったら概要だけ把握する必然性があまりないような気がするし。「概要を把握しなさい」という教育的目的じゃなくてコミュニケーションの文脈では。
要点把握の目的が大事だね
ということは、なぜ要点を把握するのか、という目的の設定が大事になるかな、と思うんだよね。例えば、あるスピーチ原稿を読んだ後(要点把握後)に英字新聞を作成するとする。
生徒たちはそれぞれにテーマを設定して、その視点で重要になるエピソードや表現を本文からピックアップしつつ借用し、まとめていくことになる。そうなると、その生徒のテーマによって要点は異なるはず。いや、その多様さが面白いし、まさに思考・判断・表現の活動だからそれでいいと思うんだけど。(そうなると、教師が一律にQ&Aのワークシートを配っちゃうのもナンセンスになるなぁ)
これこそが目的・場面・状況の状況(条件)なんだろうな。
支援された要点把握は実力なのか?
要点を把握するための活動というと、Q&Aとかグラフィック・オーガナイザーやマッピングみたいな思考ツールを用いて情報を抽出することを取り入れたりするけど、そのツールに従って情報を見つける行為は(知識・技能としてのスキルとしては立派だけど)思考・判断・表現としての運用能力を育てられて(測れて)いるんだろうか、という疑問がある。
ツールの使い方や役立つ問いを学んでおくことが前提として、それらの中からどれをどのタイミングで用いるかを選択して、実際に要点を把握するような活動しないと、「要点を把握した」とは言えない気がする。
いや、だから「思考・判断・表現」っていう名前の「技能」だと思うんだよね、だからどっかで明示的にトレーニングしなければ身につかないんじゃない?という話は、また別のエントリで書こうと思う。
そんな感じ。
ふくらませれば連載記事になりそうな気がする。そのうち成仏させるかも。