教員が喋り過ぎるのをどうにかしたい(反省)

今週のゼミも面白かったので振り返りを記録。

 

後期は、進行も含めて学生に任せるようにしているので、授業の終わりに「先生の話」の時間を取ってもらうのも惜しいから、言いたかったことはここで書いておくことにした(のに今週は授業中に結構口を挟んでしまったから委ねるって難しい)。

 

今週は3章の「おもちゃ」と4章の「遊び場」がテーマ。

 

表現の自由度を保ちたい

「おもちゃ」と「ゲーム」の位置づけが語られる中で、今回ゼミで取り組んでいる「タスク」づくりは、どちらかというとゲームに近いのでは、という指摘。その中で、ルールである程度縛りつつ、表現の自由度は保ちたい、という悩み。

そうね、「自由度」というのが何の自由度を指すのかにもよるけど、たぶん生徒が表現する内容の多様性の振り幅なんだろう。これって、学生の声からもあったけど、むしろある程度制限をかけて方向性を示したほうが、生徒の思考が刺激されて、結果としていろんなアイデアが出てくる、というのはあると思う。「なんでもいいから書いて」ってアバウトな指示出すと、結局みんなおんなじような(つまらない)ことを書いたりするから。

その意味ではこのゼミを通して、学生たちにいろんなタスクや学習活動を生み出してほしいと願う私は、もう少し制限をかけてもいいのかもしれないな、とはちょっと思った。

 

おもちゃがコミュニケーションを生み出すとは限らない

おもちゃに関して、授業内では言及しなかったこととして、

「近年になって他人と遊ぶタイプの遊びから、〔おもちゃで遊ぶ〕より孤独なタイプの遊びに変わってきたという文化史観」(p.74)

の話が面白いな、と思った。

こっちが盛り上がると思って、生徒に「おもちゃ」を与えても、そこでコミュニケーションが生まれるとは限らないんだろうなぁ。それは遊具も同じ。

 

そこに協働的な「遊び」が生まれるためには、おもちゃや遊具ももっと練ったデザインにしないといけない、ということと、そもそも一人で遊ぶんでもいいじゃん、という前提を受け入れた上で活動を考える必要もあるよな、ということ。

特に、タスクを考える学生は「話すこと」×「ペアやグループ単位」×「発信がゴール」みたいな組み合わせの活動を考えがちだけど、「聞くこと/読むこと」×「個人で取り組む」×「受信がゴール」の活動だって立派に「タスク」だし、脳内はかなりアクティブな活動にすることもできると思う。

 

教室のデザインを考える

最後に「遊び場」の話。

授業中は教室のデザインについて、やっぱり物理的な配置が生み出す権威性ってあるよね、という話をしました。いわゆる「先生机」がある場所によって、知識が上から下に(前から後ろに)ただ伝達されるだけ、というマインドセットを刷り込んではいないか。だから、教卓や先生机の位置を変えている先生は多いし、前の黒板以外に情報を提示したりできるホワイトボードやスクリーンがあるだけでも、いろいろ変わってくると思うんだよね。

 

えんたくんとかも。

 

物理的な限界はあるにしても、担任や教科担当者レベルでできる工夫を、もっと共有していきたいなと思う。ああ、そういう意味ではゼミをやってるLL教室の昔懐かしいLL設備の残骸は、全然コミュニケーションをアフォードしないんだけど、勝手知ったる学生たちが自分たちで自由に動いてくれて、活動が進んでるのが素晴らしいです。

(そして、前にいるとすぐに偉そうに口出しちゃうから、次から先生は教室の後ろのほうに座っててください、と学生に言われたので、そうしますw)