適切な正確さ

 町内の某中学校の授業を見に行ってきました。

 某中学校が受けている某研究委嘱にともなういわば校内研修なんだけど、同じ町内の英語科にもお誘いがかかったのでした。というのも指導者が、なんと国立教育政策研究所のH調査官だったから。授業者3名、指導者3名、参観者2名というこぢんまりとした空間の中で、参観→研究協議→講話という密度の濃い3時間半を過ごしてきました。

 研究主題が「評価」なので、「正確さ」だの「適切さ」だの、私の苦手な言葉が飛び交いました。評価は、指導案を書くときに一番困るところではあるんだけど、なかなかすっきりする説明を聞いたことがないんです。最近の傾向としては、割り切った指導案というか、研究テーマに特化した指導案が好まれるようです。あんまり欲張っていろいろ書かない方が吉、みたい。

 さて、研究協議(というかご指導)や講話を聞いていて、心に浮かぶ様々な疑問。

① 間違いを恐れている人は「コミュニケーションへの意欲」が足りないの?
  →聞き手のことを考えてくれてるのかもしれないよ?
② 高校の「授業は英語で」は「生徒が英語を使うこと」を想定
  →じゃあそう書けばいいのに!
③ reading→writingなど「統合的な言語活動」を推奨
  →でもその場合の評価って?
④ 中学生にもDiscourse-levelのライティングを要求
  →まじで!?

 生意気にも、③については会の終了後直接H調査官に聞いてみましたよ。まぁその辺は懸案の「COSMOSの評価」にも関わるので、後日まとめてエントリを書きますね。

 最後にH調査官はこうおっしゃいました。

「怒られるの覚悟で言ってますけど、週4になって一番責任重いのは中学校の英語の先生ですよ。今回(他の教科より)一番時数増えたんですから」

 って、おーい! 10年前に週3にしたのは誰だよ〜。そのことについて「ゴメン、やっぱ足んないよね」って声はないのかよ〜。まぁ、ないよなぁ。(笑)