新学習指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」ってどうやって評価するの?(中学校外国語科編)

 画像4枚にまとめ用シリーズの第2弾は、新しい3つの観点のうち個人的に一番納得行かない気になる「主体的に学習に取り組む態度」をピックアップ。

 

 ちなみに前回の第1弾の4枚まとめはこちら。

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 で、今日は「主体的に学習に取り組む態度」のお話。

 

 元々の学習指導要領では「学びに向かう力、人間性等」という文言だったので、世間の「人間性なんて評価するのかよ」というツッコミに対応して、そこは評価の枠組みから除外。個人内で評価して、個別に伝える、という形になりました。

 

 そして残った部分が「主体的に学習に取り組む態度」として評価観点の1つになりました。現行では「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」と呼んでいたものを引き継いでいる感じです。

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 元々現行の「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」の評価の実情も実にカオスで、挙手に回数を数えてみたり、自己評価カードの文字数を数値化してみたり、ワークの提出率を出してみたり、何か目に見える形でカウントして、最終的にABCで評価する涙ぐましい努力がありました。

 

 そんな中、研修会とかでは「ワーク提出とか成績に入れるんじゃないよー」みたいなご指導は当時からありましたし、埼玉県なんかは悉皆研修に5年間毎年松浦先生をお呼びして「活動をやってるか、やってないかを監察して(やってなかったときだけ記録しておいて)10回観察したうち8回やってたらAでいいんじゃないの?」みたいなご指導を受けているはずです。

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 ワークを出す出さないみたいなのは英語力じゃなくて生徒の生活能力だし、場合によっては出せない背景には家庭環境とかいろんな要素もあるし、それをしっかり育てる場面は学校の中で英語の授業外にもいっぱいあるし(むしろ多すぎる気もしてそういう子たちは辛いだろうし)、ということで、そういうのが改めて否定されることはよいと思います。

 

 でもじゃあどうやって評価するんだよ、という嘆きの声が聞こえてきそうですが、あとでも書いてますがそもそも無理筋なので、あまり欲張らないこと(それが成績全体を大きく左右させないこと)が大事かな、とも思います。

 

 評価資料では「粘り強い取り組み」「自己調整」という2つの枠組みが提示されています。「粘り強い取り組み」には「知識・技能の獲得や思考力・判断力・表現力を身につけるための」という枕が付きます。前回の記事でも書いたように、「知識・技能」も「思考・判断・表現」もなかなか高次なスキルを想定しているので、「パターンプラクティスに一生懸命取り組んでた」とか「単語練習頑張った」みたいな日常の生徒の頑張りをすくい取るものではないように感じます。

 

 評価資料で語られている理念とは相反するとは思いますが、私はこういう下位技能を身につけるための努力や成果も、しっかり評価するべきだと思っているので、私が実際に評価をするとなったら「知識・技能」と「思考・判断・表現」の評価の枠組みに、そういう努力を勘案できるスペースを作ろうとすると思います。その上で、「主体的に学習に取り組む態度」の評価に関しては、評価資料で提案されているようなやり方を試してみるかも知れません。

 

 でも、具体的な評価事例を見ると、さらに混乱は深まります。

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 まず「魔法の公式」と私が勝手に名付けた評価規準の文例が、同じ評価資料で紹介されている評価基準表に全然反映されてない。上の公式がどうやったら、下の事例のようになるのか、何度読んでも謎です。

 

 ここでいう「3つの条件」というのが、「相手の意見も聞き出す」みたいなものを含んで入るので、それをもって「聞き手に配慮」とするのかも知れませんが、結局「主体的」って具体的にどういうことなの?というところは授業者に一任!というのが悩ましいところ。特にa評価レベルの「配慮」って、もはやカオスで、マナー講座みたいなどうでもいい努力を生徒に求めるような評価やテストが横行しないか心配です。

 

 あとは「ひとりごと」にも書いてますが、資料を読む限り、実質的には「思考・判断・表現」と「主体的に学習に取り組む態度」の評価は一致する、と書いてあるように読めるので、じゃあ別に2つの観点にしなくていいのに、と思うのです。それだったら、代わりにもっと地道な努力とか成果を評価してあげる枠組みをちゃんと残してくれればよかったのに、と思います。

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 そして「主体的に学習に取り組む態度」の評価は長期的に、学期や年間を通して評価、ということなので、さらに「印象評価」に頼らざるを得ない枠組みになりそうです。

 

 じゃあちゃんと根拠を示して評価しようとすると、今度は教師の首を絞めることになります。これは「思考・判断・表現」の評価事例(p.58)とかを見てても感じることですが、そもそも、ペアワークで活動しているときに観察してて、その会話の誰のセリフのどの部分が「思考・判断・表現」的な要素を満たしているかを判別できるんですかね。録音してたとしても、何度も聞かないとわからないし、下のやり取り例を書き起こしたものを見ても何度も読み返してやっとですよ。

 

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 だって、そういう「あらわれ」の仕方は生徒によって様々だし、そういうのって行きつ戻りつ身に付いていくものだから、学習成果の評価とは馴染まないように思うんですよね。

 

 文句は言ってても実際にこの枠組で評価をつける先生方の手助けにはならないので、もう少し具体的な手法については、今後私も考えて提案したいなとは思いますが、いずれにしてもこの観点があまり成績を左右する大きなポイントにならないようにすることが大事だと思います。

 

 それはつまり多くの生徒にAがつくように指導・評価する、ということです。それは別にズルをする(基準を下げる)ということではなく、しっかり指導したものが「あらわれ」ているかだけを評価してあげればいいと思います。生徒にも「こういうセリフ、態度が『主体性』の『あらわれ』なんだよ」ということを伝えて、共通理解をしておく必要があります。

 

 何度か書いていますが、やっぱりこういう態度って結局はスキルなんですよね。ソーシャル・スキルトレーニングさながらに、全員に身につけさせた上で、他の2つの観点の評価をしてあげたいなと思います。

新型コロナウイルス対策の条件下、教室でどんなコミュニケーション活動が可能なのか考えてみた

 昨年、主催者の私の環境が大きく変わったこともあり、しばらくお休みしていた英語教師の自主サークルを、なんとか再開しようと準備をしていた矢先、新型コロナウイルス流行の影響で、人が集まる会合が難しくなっちゃいました。

 

 ということで、ZOOMを使ったオンラインでのサークル開催に向けて、実験的な意味で本日ミニ会合を開いてみました。最大7人の方に参加いただきましたが、うん面白いね。十分サークルとしての活動はできそうな見通し。4月下旬から、また再開したいなと思っています。

 

 今日のミニ会合に参加してくださった先生方に近況を伺っていると、やっぱり今回のウイルス対策により「対面によるペアワーク禁止」「声出すの禁止」に類する制限がある中で、どうやって英語の授業でコミュニケーションを成立させるのか、というお悩みが聞こえてきます。そりゃそうですよね。

 

 そこで、(サークルでもお話したのですが)もしも私が今この状況下で中学校英語科教諭だったらどうしていたかな、ということを考えてみました。

 

 まず、対面禁止措置を乗り越えるための「横並び、縦並び、背中合わせメソッド」です。

 

 私はひねくれてるので、じゃあ向かい合わなきゃいいんでしょ、と考えたと思います。よく考えてみたら、人と人がお話するのは意外と対面じゃないよね、ということで、例えば中学生の帰り道をイメージしてみます。

 

・友達と並んで歩く時

  →二人で並んで前を見たまま話す

・自転車で一列に並んで変える時

  →前後で顔が見えない状態で話す

 

 中学生は学校からの帰り道にどんな話をするかな、と考えてみると、いろいろ面白い場面や話題設定が浮かびそうな気がします。ついでに、前後の位置関係で話すとなると、結構しっかりと声に出して話さないといけなくなるので、ごにょごにょじゃなくある程度の声量で話させることができます。

 

 これは、これまでによく電話のスキットをやらせるときに、背中合わせで手に電話機代わりの筆箱をもたせて会話させたりしてたのと似ています。あれも、(周りも一斉にやってるのでうるさいから)それなりの声で話さないといけなくなり、教室に活気が出ます。まぁ、今はあんまり唾が飛ぶようになっちゃうと意味がないんですけどね。(マスクをしましょう)

 

 2つ目は、私が勝手に提唱している6つめの新領域「書くこと[やり取り]」です。

 

 今回の学習指導要領改訂は、納得できないところがいくつかあるのだけど、その一つでもあるのは、「話すこと」だけ[やり取り]と[発表]に分割されたけど、書くことだって[やり取り]と[発表]があって然るべきでしょ、というお話。

 

 みんな書くことをゴールにしがちで、逆に言うと生徒が書いたものが有効活用されてないし、誰に向けて書くのかということが全然仕掛けられてないんだけど、そもそも文字によるコミュニケーションだってコミュニケーションだし、むしろSNS全盛の今、日本語ではかなり文字でコミュニケーションしてるじゃないですか。

 

 例えば下のようなワークシートを使って、ペアで文字で会話をさせても面白いですよね。(すみません、今2分くらいで作ったワークシートなのでテキトーですがご容赦を)

 

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 一応Wordファイルも置いておきます。ご自由にお使いください。

 

www.dropbox.com

 

 しかも、私なら隣の人とペアは組ませず、教室の中で4列右にいる人(向こうからしたら自分が「4列左にいる人)とペアリングして、このワークシートを折った上で「あの人に回して」と人手を伝って渡してもらいます。そう、授業中に先生に見つからないように離れた席の友達にお手紙回す、あのイメージです。

 

 少し離れた人にメッセージ渡すほうがわざわざ文字で書く意味があるし、苦手な生徒もまわりの生徒に手伝ってもらいやすくなります。

 

 内容もテーマだけ設定して雑談にしてもいいけど、例えば「できるだけ少ない回数のやり取りで、来週の日曜日に二人が実際に会えそうな時間と場所を決める」なんてタスクにしたら、なんて聞けばいいか(提案すればいいか)いろいろ工夫しそうですよね。そういうタスク性のある活動も面白いかなと思います。

 

 もっと大掛かりでやるとすれば、前々からこのブログでご紹介しているCOSMOSやポケモンみたいな活動も面白いですよね。ご興味があれば過去の記事を御覧ください。

 

anfieldroad.hatenablog.com

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 ということで、そうはいっても、実際の学校現場ではさらにいろんな縛りがありそうで、スムーズにいくかわかりませんけど、いろいろ考えてみると、これまでの英語の授業で見落とされていた活動が、形になっていく期間になるかも知れませんね。みなさまのアイデアもいろいろ聞かせてもらえたら嬉しいです。

「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」を最後まで読んだので、全90ページある資料をスライド4枚にまとめてみた

 だんだんタイトルが長くなってますが、気にせずに。

 

 さて、タイトル通りですけど、第3編の評価事例も読みましたが、モヤモヤは残ったまま。でもそのままじゃ、教育実習に送り出す学生にどう伝えたらいいんだ、ということにもなるので、私なりに今回の資料を一度消化して、整理してみることにしました。

 

 で、まとめたのがこちら。

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 まぁ、そもそも4枚にまとめるので、かなり単純化してるし、そもそも恣意的なまとめになってますけど、4月に入ったら忙しくて読んでる暇もない、という先生方も多いと思うので、まずは概要を掴んでもらうためのまとめです。ざっくりなところはご容赦を。 

 

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 で、今回の評価の枠組みの全体像はこんな感じ。

 

 左上にあるように、今回の枠組みは「内容のまとまり(つまり5領域)」と「3つの観点」を掛け算したようなマトリクスが軸になります。これは先日の記事で表を紹介しましたね。

 

 疑問点のスライド(4枚目)でも書いたけど、そもそも、具体的な評価例を見ても、3つの観点の違いがわかりにくいんです。語尾が違うだけにも見える。

 

 これは今回の4枚のまとめとは別の表だけど、違いを色分けするとこんな感じ。

 

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 特に緑色の文末の表現で区別するしかないですね。

 

 で、たぶん文部科学省的には「主体的に学習に取り組む態度」こそが主役だ、と言っているのだと思いますが、この表を見る限り、評価としての新味は「思考・判断・表現」にあると思います。だから、あえて「思考・判断・表現」が主役になっている図になっています。

 

 もうひとつ。教師としてはもちろん生徒の「主体性」って大事だと思うんですけど、その「主体性」を教師が評価するとか、まして成績に入れちゃうのは大反対です。だから、少しでもこの観点が薄まって成績を左右しないようなものになればいいと思って、こういう図にしています。あしからず。

 

 いずれにしても、もうここからは文部科学省の手を離れて、生徒と向き合う先生方の手に委ねられたのです。先生方が、自分が生徒の力を伸ばすために意味ある評価を作り上げるために知恵を絞っていって欲しいです。今回のまとめは、そのヒントになればいいと思って作りました。

 

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 3枚目では、私が個人的にイイねと感じたポイントをまとめています。

 

 長期的なスパンで評価する、ということが繰り返し述べられています。他教科と違って、言語はこの時間に教えたことがこの時間内に定着するわけはないので、この考え方が広まることには大賛成です。合わせて、評価のタイミングを絞っていることも、無用に毎回「評価!評価!」と追われなくなる意味で重要です。

 

 毎回の授業で「今日の目標」みたいなことを確認することを要求されることもありますが、少なくともスキルの定着みたいなものを1時間の目標に掲げる必要はなくなるので、こういう言質が取れたことは意味があります。

 

 そして、文法と使用場面をつなげる、ということも繰り返し述べられています。これも基本的には賛成なのですが、資料では新しい文法を習ったその時間内に「その文法を使えとは言わずに、でも活動の中で使うように導いて使わせろ」みたいなことが書いてあって、それはちょっと急ぎ過ぎじゃないの?と思いました。長期スパンって言ってるのにね。

 

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 最後は疑問点です。

 

 1番目については、前回の記事で書きました。上でも少し書いてますね。

 

 2番目も変ですよね。突然Can-Do推しが始まったけど、あれは最終的に評定を出さなければならない総括的評価である学校評価には馴染まないよね、という声もありましたが、これまでは「外国語表現の能力」と「外国語理解の能力」というスキル系の2観点のみCan-do対応することで、なんとか整合性を持たせていました。

 

 今回の資料では、結構詳しく評定算出までのプロセスを例示してるので、こういうのを見ちゃうと、「あれ?最終的にbが取れたならbが評価なんじゃないの?」と思ってしまいます。もうそんなに到達度評価が好きなら、いっそ通知表にCEFR段階を載せちゃえばいいのに。

 

 3番目は、評価資料全体を読んだ私の印象です。評価計画づくりのプロセスが大変網羅的に詳しく書いてくれているけど、「実際はここでは書いてないけど読むことも評価するからね」みたいな断り書きが多くて、実際に教師が全体の評価計画を立てたら、90ページどころじゃ済まなくなるんじゃないの?という不安もあります。そして、その評価計画の中では、地味に目の前のテクストを読んで意味を理解する、というサブスキル(というかある意味メインスキル)の指導や評価を考える余裕がなくなっちゃうんじゃないか、と思うんです。

 

 若い世代の先生方が増えてきて、こういう資料もずいぶん丁寧に書かれているようにも思います。同時に、そのまま使えるような評価規準をただ載せるだけでは現場の指導と評価は変わらないから、先生方に考えてもらうような資料にしようという意図も垣間見れます。

 

 私も賛成できる部分と現場にいたら自分なりに工夫して対応しただろうなという部分があります。それぞれの先生方が同じだと思います。繰り返しますが、「評価」は文部科学省の直接手の及ばない、教室の中にあります。先生方が、生徒のためにどのうように工夫して、これらの評価の観点や規準を「育てて」いくかが重要です。

 

 スタートするまでちょうど1年。スタートして最初の成績が出るまで1年と3ヶ月くらい。そして、その先の何年間かで、少しずつ定まっていくものかなと思うので、ただお上からの伝達講習を待っているのではなく、多くの先生方が意見や知恵を出し合っていって欲しいと思います。そのための時間を、ちゃんと先生方にください! そういう意味でも休校措置で少しでも時間のあった3月に研修できるように資料をもっと早く公開して欲しかったです。

 

 原典の国立教育政策研究所の資料はこちら。

www.nier.go.jp

 

「『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料」の前半を読んだけど、結局3つの観点の違いがまだよくわからない

 昨年からずっと出る出ると言われ続けてきて結局年度末、小学校において新学習指導要領が施行される5日前になって、小中学校向けの新学習指導要領に基づく評価のための参考資料が国立教育政策研究所より公開されました。

 

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www.nier.go.jp

 

 当たり前ですが、英語に限らず、全部の教科で公開されています。

 

 全教科共通で、新しい評価観点のポイントについて書かれた「第1編 総説」、英語科に絞って評価基準の設定の仕方を説明する「第2編 作成の手順」、そして具体的な指導と評価の事例を提示する「第3編 事例」とありますが、全部読むとかなり長いので、とりあえず第1編、第2編を読んだ感想をメモしておきます。(読みながら書いたTweetの羅列、とも言う)

 

 結論を先に書いておくと、長い間この資料を待ってはいたものの、この資料を見ても、これまでブログで提示してきた新学習指導要領に基づく評価基準の設定にともなう問題点・疑問点はほとんど解決しませんでした

 

anfieldroad.hatenablog.com

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 ブログでも掲げていた問題点は、3つの観点が似ているということ。文言の細かいところに差があるだけなので、それぞれが何を測っているのか区別がしづらいと感じていました。

 

 一番基礎的な部分を測っていると思える「知識・技能」についても、

 

各教科等における学習の過程を通した知識及び技能の習得状況について評価を行う

 

    +

 

それらを既有の知識及び技能と関連付けたり活用したりする中で,他の学習や生活の場面でも活用できる程度に概念等を理解したり,技能を習得したりしているかについても評価する

 

などと言うものだから、「意識高すぎ」です。上の1つだけなら普通だったんだけど、「生活の場面でも活用」というのが肝ですね。

 

 ちなみに、もともと意識高い系と思われる「思考・判断・表現」が、

 

各教科等の知識及び技能を活用して課題を解決する等のために必要な思考力,判断力,表現力等を身に付けているかを評価する

 

という書き方。「生活の場面で活用」と「課題を解決する」の違いってなんだろうと考えてしまいます。「技能」のところでは、

 

使用する言語材料の提示がない状況においても,それらを用いて事実や自分の考えなどを話したり書いたりすることができる技能を身に付けているか否かについてを評価する。

 

と書いているのでコンテクストの中で使わせることを「生活の場面で活用」と呼んでいるのでしょう。示されている評価場面を見ると、「知識・技能」は例えばペーパーテストでもいいけど、その英語が使われるコンテキストを示した上で文法力を測れよ、みたいな感じ。「思考・判断・表現」は、ディスカッションやプレゼンとかさせろよ、みたいな感じ、かなぁ。わからなくはないけど、「測り方」ありきになっていませんかね?

 

 ちなみに「主体的に学習に取り組む態度」は

 

知識及び技能を習得したり,思考力,判断力,表現力等を身に付けたりするために,自らの学習状況を把握し,学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら,学ぼうとしているかどうかという意思的な側面を評価する

 

とあるので、これもなんかも「ポートフォリオ」とか「自己評価表」みたいな測り方・記録の仕方を想定している書き方ですよね。

 

 一方で、

 

単に継続的な行動や積極的な発言を行うなど,性格や行動面の傾向を評価するということではなく

 

と明記したことは評価できるかも知れません。「授業中たくさん手を挙げた人えらい」、「期限までにワーク提出した人えらい」みたいのはこの際駆逐したいとも思います。(いや、それらは「人としてはえらい」けど、英語の力なのかと言えば疑問でしょう)

 

 

 さて、似ている3つの観点を、評価基準の例で比較してみます。

 

【話すこと・書くこと】

 

「知識・技能」=「話したり書いたりして表現したり伝え合ったりする技能を身に付けている状況

「思考・判断・表現」=「話したり書いたりして表現したり伝え合ったりしている状況

「主体的に学習に取り組む態度」=「話したり書いたりして表現したり伝え合ったりしようとしている状況

 

【読むこと・聞くこと】

「知識・技能」=「その内容を捉える技能を身に付けている状況

「思考・判断・表現」=「コミュニケーションを行う目的や場面,状況などに応じて,必要な情報や概要,要点などを捉えている状況

「主体的に学習に取り組む態度」=「必要な情報や概要,要点を捉えようとしている状況

 

 つまり、「しようとして」いれば主体性が◯で、「する技能を身に付けて」いれば知識・技能が◯で、実際に「していれ」ば思考・判断・表現が◯になるということですかね。そうなるとやっぱりこの3つの観点には階層性があるというか、1つの内容のまとまりについてだけ書くと、3つの観点の間に上下があるように見えてしまいます。

 

 例えば今日の授業では「聞くこと」は「思考・判断・表現」レベルまで求めるけど、「書くこと」は「知識・技能」レベルで十分とする、みたいに異なる領域(内容のまとまり)について別々の目標を立てるというやり方は現実的には存在するので、第3編の事例でそういう例が示されていることを祈ります。

 

 ということで、こりゃあ、指導案書くの大変になりそうだなぁ、役立ちそうな資料ないのかな、と思っていたら、参考になりそうな表が載ってました。これだよ、これ。こういうのを待っていたんですよ。でもその表が2ページに分かれて見づらかったので、1つの結合してみました。

 

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 なんか正直この表だけでも十分じゃないですか。これだけでいいから、もったいぶらないでもっと早く公表してくれてればよかったのに、と思います。県レベルの指導主事には昨年のの12月にほぼこの内容が降りていたようで、県から地区や市町村に「伝達」していくことをイメージしているんでしょうね。

 

 でも、そうやって情報を小出しにして、下々に対して優位な立場に立とうとする教育観こそ、文科省が「古い教育観」とか言って否定しそうなのになぁ。まぁ、「アクティブ・ラーニング」みたいな本来ボトムアップな形で作り上げていく教育手法も、トップダウンで指導を促していくのだから、ある意味平常運転ではあるのだけど。

 

 そしてこの時間差は結局、先に渡された県の指導主事がさらに詳細な評価資料作るために必要なタイムラグだったりもするのでしょう。でも分厚い評価資料もいいのだけど、それよりは、

 

【 X 目的等 】に応じて,【 Y 事柄・話題 】について,簡単な語句や文を用いて,【 Z 内容 】を即興で伝え合っている。

 

のX, Y, Zの項目選べば評価基準の文言が自動生成されるExcelファイルでも配れば、先生方が指導案作るのには助かるのでは、とも思います。

 

 ふう、具体例までたどり着くまでにすっかり疲れてしまったので今日はこのくらいで。

 

 最後に、今回の資料のあちこちにある、

 

このような考え方は,従前の「思考・判断・表現」の観点においても重視してきたものである

 

とか

従前の「関心・意欲・態度」の観点も,各教科等の学習内容に関心をもつことのみならず,よりよく学ぼうとする意欲をもって学習に取り組む態度を評価するという考え 方に基づいたものであり,この点を「主体的に学習に取り組む態度」として改めて強調するものである。

 

みたいな書き方はお役所的で気になります。「抜本的に改革してるぜ!」と「あ、でもこれまでも別に間違ってませんでしたから」を両立しなくてはならない官僚魂(というかひたすらに無駄な苦労)を感じて無駄に頭が下がります。

 

 でも本当はそんな内向きの気遣いより、学習指導要領を大きく変えたんだから、過去の政策に何かしら問題があったということで、むしろその問題をしっかり精査・周知して、その策定プロセスを見直すような努力こそ、必要じゃないですかね。PDCAとかお好きなんだから、文科省様。

Rという言語を学びながら、言語習得の「厳しさ」と「ゆるさ」を考える

 今日は、千葉に統計の勉強に来ています。

 

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 とても綺麗な街並みなのですが、人も少ないのでなんとなく非現実的な感じです。

 

 さて、統計の勉強とは言いましたが、正確に言うと、統計分析のフリーソフト「R」の使い方を叩き込まれる集中的に学ぶ勉強会に参加しています。

 

 統計自体は、修士課程に在籍していたときに基礎的なことは勉強しましたし、自分の修士論文ではANCOVA(共分散分析)が必要なのだなと考え、先生からお借りしていたPCに入っていたJMPというソフトの使い方を必死に検索しながら格闘した思い出があります。

 

 今回は、ソフトに自動でやってもらうばかりではなく、自分でプログラムを組んでデータを処理できるようになりたいと思って、R言語を学びに来ているわけです。

 

 で、全4日間の日程の折返しを迎えて感じたことは、プログラミング言語「R」は、やっぱり「言語」なんだなぁ、ということ。「言語」って言ってるんだから、当たり前なんだけど、研修を受けながらどうしても言語の習得過程に思いを馳せてしまうのは職業病でしょうか。

 

 1日目は、いろいろ話を聞いても、見様見真似でプログラムを入力しても、なんだかよくわからない感じ。先生の言うとおりに言えば通じるよね、という具合に、ただ同じ文字列を入力していれば(打ち間違えなければ)ちゃんと望み通りの結果が表示されます。言ってみればやらされてる感が強くて、満足感はそれほど高くありません(余裕がないだけ、とも言う)

 

 これも考えてみれば当たり前で、別にこのデータをそう並べることを自分が望んでいるわけでもないので、成功しても感動は薄いわけです。

 

 でも、面白いなぁと思ったのは、2日目になってなんとなくプログラムの構造がわかってきたからか、プログラムが正常に動かない!なんて事態になると、なんだか無性に燃えてくるんです。「ああ、ここにcが抜けてたのか!」「ここを入れ子にすればいいんだ!」みたいに独り言を言ってる自分に気づきます。

 

 これだって練習問題をやってるだけなので、必ずしも「自分のやりたいデータ処理」をしているわけでもないんだけど、知らないうちに「このプログラムを走らせること」というタスクに夢中になっているので、そういうリアリティーを忘れちゃってるんですよね。

 

 ここには、プログラムというものにはちゃんとしていれば動くけど、1つでもミスがあると動かないという「厳しさ」と、同じことを実現するのに、やり方は複数あるという「ゆるさ」があることが、根底にあると思います。どっちかだけだとすぐに諦めたり、飽きたりしてしまいそう。

 

 これって、まさにコミュニケーションじゃないですか。

 

 ちゃんと通じるのか、通じないのかというリターンが得られる「厳しさ」と、人や場面によっていろんな言い方が許容される「ゆるさ」の両方があることが、失敗を恐れずにコミュニケーションしてみようと思える土台になるんじゃないかな、と体験から考えていました。

 

 まぁ、他にもどういうタイミングで例を示されると効果的か、とかなんとなく言語習得過程を意識しながら自分の受けている研修をメタに分析している自分が面白いのですが、それはつまり私が新しい言語を学んでいるんだなぁ、と実感できる瞬間でもありました。

 

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 ということで、まだまだ研修は続くわけですが、4日目が終わったときには、辞書を片手にコンピュータと最低限のコミュニケーションが取れるようになっていたいな、と思います。

MacBook Air+外部ディスプレイ+HHKB+Magic Mouse2で快適な環境に

 まだまだ咳き込む日々が続いているので、無料ポッドキャストのほうが再開できていません。そのぶん、というわけでもないですが、ブログは更新しておこうと思います。

 

 使っていたMacBook Proがずいぶん古くなってきたので、ラップトップのコンピュータを買い換えよう、といろいろ検討してきました。Macに関してはいろんな噂サイトがありますが、どこも今回のコロナウィルス騒ぎでアップル製品のリリースが遅れそうな見立て。新商品出るなら待ってようかと思ったけど、新年度がスタートする前に環境を整えようと、MacBook Airに買い替えました。 

 

 

 昔はなんでもProモデルにこだわってましたが、最近はiPadなんか見てても、別にProじゃなくても十分な性能だなぁと思うことが多いので、コスト抑えめにAirにしました。墨色のHappy Hacking Keyboard(HHKB)に合うように色はスペースグレイです。

 

 そして、出先ではHHKBをMacBookの上に乗っけて使う通称「尊師スタイル」でいいんですけど、家では画面が大きいほうがいいなとhpの外部ディスプレイ買っちゃいました。23インチで1万円ちょっとだからお得かな、と。

 

 

 MacBook Airはクラムシェルモードで接続。うん、こうするとデスクの上もすっきり。HHKBとMagic Mouse2と並べるとこんな感じ。

 

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 うーんと、正直に言うと、ディスプレイの画質は普通です。MacBook Airに比べればずいぶん落ちる感じもします。それでも23インチくらいの大きさがないと、書類を2つ開いて作業したりするのはつらいなぁと思うので、外部ディスプレイにしてよかったとは思っています。(研究室の27インチiMacに慣れすぎている危険性も…)

 

 とりあえず、これで新しいMacBookにR Studio入れるぞー、EndNote入れるぞーと大学に籍を移して1年が経とうとしている今ようやく研究モードに突入です。やっぱり新しいコンピュータはテンション上がりますね。

 

 なんて言ってったら、こんなニュースが…。(,,゚Д゚)

 

www.engadget.com

 

 まぁ、いいや。少し前の値下げ春のキャンペーンで現行モデルを底値で買えたと思うことにします…。

「英語4技能専門塾」という違和感

 Twitterでは少し前に書いたのですが、ちょっと前に街を歩いていたら、マンションの外壁に貼られた広告、というか看板が目に入りました。


 「英語4 技能専門塾」

 

 4技能専門? なんだろう、この違和感…。

 

 きっと大学入試に民間試験が導入されること(になっていたこと)を受けて、そんなふうに売り出している塾なんだろうな、とは思うのですが、たぶん私が気になるのはその中身より、表現。「4技能専門」?

 

 ふつう、「専門」という言葉は、たくさんあるものの中から何かに特化したときに使いますよね。例えば「腰痛専門の整体院」と言われれば、ふつう整体院が扱う部位はいろいろあるけどここは腰痛のみを扱うんだな、それだけ専門家が診てくれるんだな、と思わせる効果があるわけです。

 

 「4技能専門」というからには、英語のスキルは5種類以上あって、その中で4つに特化した塾ができた、という意味に解釈できます。でも、「4 技能」という言葉は本来「読む」「書く」「聞く」「話す」という4つをバランスよく指導しよう、という意味で使われてきたわけで、むしろ総体を表す言葉だと思うんです。(もちろん、それで全部じゃねぇ!という意見があるかも知れませんが、この塾がそういう考えで「4技能」を謳ってるとは思えません。)

 

 「これまでは読む・書くばっかりだったから、聞く・話すに特化した塾にする」だったら、ある意味「2技能専門塾」だけど、それじゃどの2技能かわからないし、じゃあ「4技能」にすれば全部やるのが伝わるよね、と考えたのでしょうけど、そしたら「専門」は変だよね

 

 まぁ、本当にどうでもいい話なんですけど、私は一応広告とかも好きなので、こういう「売り言葉」もすごく気になるんですよね。もちろん、広告代理店なんかを挟んでるわけでもないでしょうから、これは塾経営者の言葉なわけで、そうなると、「こういう言葉の感覚を持った人が4技能を教えてくれる塾なんだな」と思ってしまうわけです。残念。

 

 そんなことを思ってふとTwitterに書いたりしたわけですが、今日思い立ってその塾の名前で検索してみたら、「(◯◯◯は変わります!」とのことで、今後は共通テストを見越してリーディングとリスニングの2つを中心としたスタイルに(4技能ェ…)、そして(4月から英語が教科化される)小学生を対象とした英検対策コースを新設!とのこと。

 

 いやぁ、いろいろすごいなぁ…。という、本当にどうでもいいお話でした。