「コミュニケーション(をするために必要な下位技能を身につけること)への関心・意欲・態度」

 今日は勤務校の研究発表会でした。

 一応「名ばかり研修主任」なので、全体会で研究概要のご説明をさせていただいたり、同じ英語科の先生が研究授業をしてくださったので、研究協議の司会などをやらせてもらいました。いろいろな方に助けていただき、なんとか無事に一日を終えることができました。

 ふう。

 ひとつ終わったので、今度は自分がやる12月の研究授業の構想を練り始めました。最近継続的に取り組んでいる「意味順」の実践を核に据えた授業にしようと思っています。ただし、ライティングではなく、リーディング(読解&音読)のために使おうと思っています。

 ただ、今日の研究協議会でのやりとりから、不安もいくつか浮かんできました。

 指導者の先生とお話していて、例えば「インタビューで聞いた内容を、英文で書く」という活動は読み手や目的が示されていなければ「コミュニケーションではない」というご指導を受けました。そりゃまぁそうなんだけど、そうなるとその活動への取り組みの様子を「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」としては評価できないというのです。

 そんなこと言われたら、ぼくがやらせてる「ライティング」活動は、たいていがまだトレーニングの段階だから、どれもとても「コミュニケーション」とは呼べないので、それらに一生懸命取り組んでくれてる生徒の関心・意欲・態度は「評価対象外」ということになってしまいます。

 とすると前述の「意味順」実践だって、ぼくのように内容理解や文構造把握、あるいは音読の素材として使おうとする場合、やっぱり「コミュニケーションではない」と言われて終わってしまうのでしょうか。いっそ、「コミュニケーション(をするために必要な下位技能を身につけること)への関心意欲態度」もあればいいのに…。

 たぶん、そういった基礎トレーニングは本来「言語の知識・理解」に分類されるんだろうけど、そこはあくまで「知識・理解」なので、そこで勝手に「〜できる」みたいな「技能」を語り始めると、またしても「それは違う」と言われてしまう悪寒((((;゚Д゚))))

 もちろんトレーニングと言っても、ぐるぐるみたいに直接ひとつの技能を取り出したダイレクトなものでもないんです。ただ、受容的に「意味順」を使うので、そこでコミュニケーションをしてるわけではないし、だいぶ文構造にフォーカスした練習にはなると思います。結局何かが身についたかどうかが見られるのは、書く・話すみたいなproductiveな活動の方でしょう。だからこれまでは「意味順」をライティングでばかり使ってきてしまったのだけど、それを下支えする何かになると信じて、今はreceptiveな使い方をさせたいなと思っているんです。

 もちろん、「意味順」を体得することで、英語でコミュニケーションすることにどんなプラスがあるのか、ということは考えながらトレーニングは組むし、生徒にも伝えているつもりだけど、その「答え」になる生徒の姿が、その授業内に現れている必要はないでしょう。それでも、「次につながる(ように見える)何か」を見つけられないものか、思案しているところです。

 12月の授業研究会は、今日と同じ方が指導者でいらっしゃるので、率直にそんな疑問をぶつけてみようかな。もしくは、そんなことをみんなに考えてもらうような授業をしてみようかな、と思います。