[本] 活字になるということ、ブログで書くということ

 さて、ちょっとしたご案内です。

 少し前に大修館「英語教育」誌で書かせていただいたのに続いて、今月は「新英語教育」誌でも書かせていただく機会をいただきました。昨年12月に、関東ブロック集会で発表させてもらったご縁からです。

新英語教育 2011年 06月号 [雑誌]

新英語教育 2011年 06月号 [雑誌]

 「インターネットとヒューマンな授業」という特集の中で、ネット上の画像を使った授業のアイディアをご紹介しています。といっても、このブログでは何度かご紹介している例のアレです(笑)

 こうやって自分の書いたものが活字になるのは、幸運なことにこれまでにも何度か経験させていただきましたが、できあがったものを手に取るといまだにドキドキします。どっか書き間違えてないだろうか。あの書き方で伝わるだろうか。そもそもあの内容で大丈夫なのか。書いたもので誰かを傷つけていないだろうか。小心者なので、完成品を読み返すのは正直怖かったりします。

 さて、こうやって書かせていただく機会をもらうようになって、若干困っているのが「名前」の問題です。

 今さらではありますが、私はネット上ではanfieldroadを名乗っていて、一応本名を晒してはいません。とはいえ、個人を特定できるようなことはあちこちに書いてますし、そもそもそこそこ似ていると一部で評判の(笑)似顔絵も載せてますので、本気で匿名性を守っているようには見えないと思われるでしょうが、一応本名の検索からこのブログにはたどり着けないように配慮してきたつもりです。(現在はちょっとした手違いでamazon絡みでひっかかるようになってますが…)

 それは基本的には、生徒にはあまりこのブログに来て欲しくないからです。それは学校の中で「一部の生徒だけが知っている情報」というのを作りたくない、ということと、純粋にこちらの手の内を見せたくないから、という理由からです。中にはここを見つけちゃう生徒もいますが、その辺は大人の対応をしてくれているので、今までのところ助かっています(笑)

 まぁ、生徒が読むことはないであろう雑誌上では、このブログのURLを紹介したりもしていますので、「ぼくの本名=anfieldroad」ということは、もう公然の秘密になりつつありますね。とはいえ積極的に公開・拡散するつもりはないので、今後もこんなスタンスでいこうと思っています。

 ところが今年は今までになく本名の方が世に出る機会があって、非常に戸惑っています。原稿とか発表とか頼まれても、できることならanfieldroadの名前で出させてもらいたいくらいなんです。

 それはたぶん、自分に自信がないからなんだと思います。

 ぼくは正直ブログで、匿名で書いている方が落ち着きます。匿名という衣に身を隠して自分の言いたいこと叫んで、誰かに見つかったらさっと隠れるようなスタンスが気楽だからです。当たり前ですが、その方が本当に言いたいことを言えるんです。公務員という立場上、本名では言いにくいこともここだと結構強気に言えてたりするっていうのもあると思います。

 そして、あとで修正したり、消したりできる気楽さから、「まだ思考過程のもの」も晒すことができ、それに対してフィードバックをもらうことができるのも魅力です。ぼくの場合、そういうのがすごく大切な思考プロセスなんです。「考えたものを書いている」んじゃなくて、「書きながら考えている」からです。

 とはいえ、紙メディアで書くときは、そんなんじゃ無責任になっちゃいますから、普段のブログよりは意識して「しっかり」書くようにしています。すると必然的に、「〜と思います」じゃなくて「〜です」と断定的な書き方が増えます。もちろんそう書くからには自分なりに根拠を示して述べているつもりではありますが、やっぱり自分の性格からいうと、あとで読み直してドキドキしちゃいます(笑)

 元来、目立ちたがり屋のくせに、恥ずかしがり屋なんです。小学生の頃から、誰も手の挙がらない問題をたまたま自分だけわかったりすると、顔を真っ赤にしながら涙目で手を挙げるような子でしたから(笑)

 ということで、自分の中ではそんなキャラの使い分けというか、メディアの使い分けをしているつもりです、ということをお伝えしたいわけです。なんか誌面では普段より張り切ってる、とお感じになられたら、「ああ、あいつなりにがんばってるな」と笑って読み飛ばしていただけると幸いです。

 という、「お知らせ」というより「いいわけ」エントリでした。あしからず。