インプット手段としてのライティング

 中学校授業における「書く活動」をもっと充実させたい、と日頃から考えているのですが、どうも多くの先生方の意識としては「書くのは難しいから授業や活動の最後に」という感覚が強く、しかもややもすると「全員ができなくてもいいか」とか「時間がなければカットでも仕方がない」という空気さえ感じられるのがとても残念です。

 新しい教科書を見ても、昔より「書く活動」は増えたようには思いますが、どうしても「総仕上げ」みたいな位置づけになってて、ページの一番最後やレッスンやセクションの一番最後に配列されています。もちろん、何かをアウトプットするわけですから、学習者の中に何かが蓄積されていないと吐き出せない、と考えてのことなんでしょうけど、「書く」って別に「アウトプット活動」とは限らないんじゃないの?というのが、最近のぼくの疑問です。

 音声で導入して、教師の解説を耳で聞いて、口頭練習して、「さて書いてみよう!」ってちょっと乱暴じゃないかって思うんです。しかもいきなり「自分の気持ちを書いてみよう」ってなったりすることも多いように思います。「会話的なアクティビティー」をやらせる前には丁寧に音声のパタンプラクティスをさせるんだから、「ライティング活動」をさせるならその前に文字のパタンプラクティスをやらせましょうよ。

 基本的に、中学校レベルの授業の中でおこなわれる「書く」「話す」といった活動は、「アウトプット活動」というより「インプットするための(インテイクを増やすための)手段」に過ぎないんじゃないか、と思います。だとしたら、指導プロセスのもっと前の段階で「書く活動」をシンプルな「練習」手段として活用できると思うのです。

 ということで、このブログでは、

えんぴつで教科書

 http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20061221/p1 

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 http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20060621/p1
 といった「文字によるパタンプラクティス」みたいな活動をご紹介してきました。だいたいが、「ひたすら書く」「考えて書く」ことを目的としたシンプルな活動です。「英語で書く」前に「英語を書く」ことに慣れさせることができます。

 こういう活動を通して書くこと(書き写すこと)に慣れて、抵抗感がなくなった生徒は、もう少し複雑な「自分の気持ちを書く」ようなタスクを与えられても、一生懸命に取り組むように思います。そして出来上がる作品の質も向上します。そもそも「書く」という作業には慣れているので、考える方にエネルギーを注げるようになりますから。

 いろいろな人に「大学院で何をテーマにしてるの?」と訊かれ「ライティングです」と応えるたびに、「なんで?」って不思議そうな目で見られるのは慣れてきました。「中学校のライティング」なんて一番マイナーで時代錯誤なのでしょう。でも小学校で外国語活動が始まったことは、「中学校のライティング」を考える身としては追い風とも言えます。小学校との違いはまさに「文字」ということになるのですから、「文字によるコミュニケーション活動」の楽しさを教えてあげられるのが、中学校教員の楽しみであるはずです。

 「中学校のライティング」でできることは限られています。でも、まだまだ未開拓な分野だと思うので、いろいろ掘り起こしてみたいです。