新幹線の中で

 今日は出張で静岡へ。

 静岡市の教員研修に呼んでいただきました。テーマは英語授業とICT活用。でも、ICTをあくまでツールとして考えていて、授業そのものについてじっくりと考える、有意義な研修会でした。今日は全6回のうちの第3回で、小学校と中学校の代表授業者の指導案をみなさんで検討しました。

 この研修の面白いところは、次回第4回、第5回は、小中それぞれの授業を公開して、みんなで参観するわけなのですが、この一連の研修に参加していない一般の先生方にも授業を公開する、という点です。代表授業者の授業を研修参加者がみんなで練り上げて、それこそ「代表」として授業してもらう、というスタンスなんですね。選ばれた参加者だけが学ぶのではなく、そこで学んだことを、ダイレクトに地域に還元する、という仕組みがすごいですね。

 また、小中学校の先生が一緒に指導案を検討する、というのも面白いですね。小学校の先生は「中学校英語の評価の観点ってどうなってますか?」などと質問してて、これを説明しながら、中学校の先生方も基本に立ち返ったり、一番肝になる部分を深く考えたり、と学ぶことがたくさんあります。

 さて、まだまだ続いていく研修ですので、授業そのものの中身については、ここで取り上げませんが、以下今日感じたことを走り書き。

・スピーチや発表を改良する、となると、「表情」「アイコンタクト」「ジェスチャー」みたいな観点に偏りがち。英語そのものへのフィードバックは、生徒同士では難しいだろうけど、事前に明確なポイントが示されていれば、できることもあると思う。というか、それが示されていないと、せっかく撮った動画を見ても、自分自身で何も気づけない。

・「iPadなどを使って発話を録画しよう!」という取り組みはとても有意義だと思うけど、話す内容がどうしても「自己表現」「自己開示」みたいなテーマに偏りがち。ただでさえ自分の顔撮られて緊張してる生徒たちに、さらなる自己開示を求めるのは、この年頃の子たちには酷な場合も。そこで「虚構」の出番なわけですよ。

・「話すこと」の中で、これは「やりとり」なのか「発表」なのか、については明確にしておいたほうがいい。台本が書いてあるスキットなら、会話形式であっても「発表」だし、その場でキーワードを参考に自力で英語を組み立てるなら、スピーチ形式であっても「やりとり」に近い即興性が求められる。形式よりも、preparedなのかimpromptuなのかで分けても良かったかもしれないですね。

・「外国語表現の能力」を語る際に、「適切さ」と「正確さ」という言葉の定義が、人によって(場合によってはその人の中でも文脈によって)一致していない気がする。このへんのモヤモヤは過去にも何度か書いたので、気になる方は過去ログを検索してみて下さい。

・静岡ではクレヨンしんちゃんじゃなくてちびまる子ちゃんなんだなぁ。

・会話活動にはある程度の必然性が必要。ただインフォメーション・ギャップを与えて、情報を穴埋めさせるだけだったら、20年前の中学校の英語授業を後追いさせるだけになっちゃう。中学校英語がそこからどう抜け出したのか(あるいは抜け出せていないのか)を、もっと小学校の先生方に伝えていきたい。

・とはいえ、会話活動の場面設定にこだわりすぎて、ルール的なものが増えすぎるのも困る。もっとシンプルに、「困ってるから訊きたい」という場面が、日常の中にたくさんあるような気がするから、そういう状況を作っちゃえばいい。要は、場面の必然性というより、文法機能の必然性といった感じ。(うまく表現できない)

 あれ、全然ICTのこと書いてないけど、ま、いっか。でも、たくさんのことを考えるきっかけになった本当に有意義な出張でした。あので忘れないうちに、帰りの新幹線の中で整理してみました。

 11月末にある第4回、中学校の授業公開にも参加させていただくので、どんな授業になっているか、今から楽しみです。出張に出してくださった勤務校の方々、お世話になりました指導主事さま、 お声をかけてくださったW先生に感謝です。

 次は新横浜〜新横浜〜。