汚れちまった悲しみに

 行ってきました、山口県

 春にも旅行で訪れましたが、今回はまじめにお勉強。とはいえ、せっかくなので秋芳洞まで足を伸ばして少しだけ観光。実は前回の旅でも行っているんだけど、季節が違うとずいぶん雰囲気が違いますね。あと、秋吉「台」の方は初めてだったので、その雄大な景色を楽しみました。なんか、日本じゃないみたいですね。ストーンヘンジとかを思い起こさせます。満喫。

 夜はTMrowing様オススメの中華屋さんで、たらふく食べる。美味しいお店は、何でも美味しいですね。「ふぐ」や「瓦そば」には目もくれず、現地の普通に美味しいものを満喫。

 さて、肝心のフォーラムはというと、こちらもお腹いっぱいになりました。まだ消化し切れていないので、昨夜はブログを書くのを躊躇っていました。

 明日の授業ですぐ使える具体的なアイディアをシェアし合うようなワークショップではなく、あくまで「講演」が3つ並び、最後にシンポジウムという、参加者からいうと「受け身」なはずのイベントだったのですが、なんだか終わった後、頭が熱い。不思議です。こういう「文字にならないもの」は、やはり現地でしか味わえないわけで、わざわざ山口まで行った甲斐がありました。

 じゃあ、ぼくの頭を(心を?)刺激したのはなんだったのか。帰ってきてから、冷静に考えてみました。

 一番ショックだったのは、やはり久保野りえ先生のお話。実際にピクチャーカードを使ってオーラルイントロダクションをやってくれましたけど、その日初めて会った「聴衆が」、あっというまに「生徒」になってしまう。あの魔法はなんなんだろう?

 魔法の大半は、お話ぶりから伝わってくる人間的な魅力なんでしょうけど、それで片付けてしまうと全然科学的でない。じーっと観察しててわかったことは、一人一人と目を合わせ、こちらの気持ちをくみ取りながら話を進めていくスキルがきわめて自然に身についているということ。あとは、話の間(ま)。中嶋塾で学んだことがオーバーラップしてくるのは、偶然ではないでしょう。大切なのはやはり「教師の語り」なんですね。

 普段、同じようにオーラルイントロをするときに、どうしてもわかってる生徒だけが答えて、なんとなく進んでしまって、本当にみんながわかっているか不安になってしまう自分としては、「オーラルのあとのQ&A? やらなくても大丈夫ですよ。だって、こちらもみんなの反応(顔)を見ながら進めてるんだから、わかってなければ、何度もやりなおしてるはずだし」という久保野先生のお言葉にハンマーで頭を殴られたような気がしました。

 結局、自分との違いは「繰り返し」と「のりしろ」かな。

 オーラルイントロと音読をつなぐ活動が実は一番大切なのに、イントロしたあと教科書を開本すると、「じゃあ、さっそく音読してみよう」となってしまう。基本的な解説や文字を確認した後も繰り返される英語での応答。あれで、文字を読む前に内容が頭に入ってしまうわけです。文字を見る前に、「読んで」るんです。実際、その時の英文が今での自分の頭の中にあるからびっくり。絵があれば、本文を再生できそうなくらいです。

 こういう地味で、根気の要る作業を、こつこつと続けていくことの大切さを実感しました。なんだかんだいったって筑波大付属だって公立ですから、ぼくらと同じような条件で授業していることには変わらないんです。「いつでも、授業見に来てください」というお言葉に、ぜひ甘えたいと思っています。

 高校のお二方のお話も、やっぱり「繰り返し」はキーワードかな。

 CanDoリストやGTECなどのデータを使って「何が足りないのか」を科学的に分析しながらタスクを考え、いくつもこなしていく。中学校現場でも、もう少し生徒の英語力を数値で解析していく必要もあると思います。

 でも、タスクで追い込んでいくタイプの授業スタイルは、どことなくこれまでの高校の授業と言うより、中学校の授業に近い印象も感じます。同じ素材で読み、聞き、話し、書く。この地道な繰り返しが、力をつけていくのでしょう。

 気になったことがひとつだけ。

 お二人の授業はまるで部活のトレーニング。しっかりと目標を立てて、地道にペアなどでトレーニングを繰り返し、時々練習試合(GTEC等)をこなし弱点を把握して、さらなる経験を積み、最終的に大会(大学受験)に臨む。強豪校の練習メニューを体育の授業で取り入れようとしてもうまくいかないんだけど、そこをなんとかうまく取り込んでいる感じです。お二人のすごさはそこでしょう。

 とはいえ、英語が「ことば」として授受され、「ことば」を通して「何か」や「誰か」を知ったり、自分の中にある感情や情報を他人に伝えようと努力し、伝わったときに喜びを感じる。そういった「ことば」のおもしろさや(時には)怖さを、果たして感じるような時間は、授業の中にあるのでしょうか。

 高校現場では、どんなにいい授業をしても数値として上がっていないと評価されにくい現状があるのかもしれませんが、きっとそれだけ鍛え上げた生徒たちなら、そういう「おもしろさ」を発見・発信しているはずなんです。地道なトレーニングの合間やその先で、そんな経験を味わうことができれば、きっと生徒は受験後も英語を学び続けると思うんです。それはもちろん、英語科やSELHi校などのようなスペシャリスト予備軍だけでなく、普通の生徒であっても。そういう部分も、できれば伺いたかったなぁと感じました。高校に生徒を送り出す側としては。

 筑波大附属中から、香住丘高校や函館中部高校に進学した生徒たちは、果たしてどう感じるのでしょうか。もちろん、中学の時点でそういう動機付けがすでになされた生徒たちなら、厳しいトレーニングさえも、目的を持って楽しんで受け容れるでしょう。でも、一方で数値以外に生徒たちの「やりがい」を保証する機会がないと、やがて学ぶことをやめてしまう生徒も、出てくるかもしれないかと心配してしまいました。

 今回のフォーラムで感じた一番の裏テーマは、そんな中高連携の難しさや危うさだった気がします。いろいろなタイプの、そしてその道で本当にプロフェッショナルな講師陣を集めてくださったからこその、学びなんですけど。

 こんな素敵なフォーラムを企画・準備・運営してくださったTMrowing様に感謝です。そして、無謀な旅に一緒に赴いてくださったりんたろ様にも。

 また、現地でお声かけくださった方々。いや、意外に多くてびっくりしました。「STEP英語情報」で一部顔が割れてるんでしょうけど、「似顔絵を頼りに探してみました」という声には、喜んでよいやら。(笑) いずれにせよ、ありがとうございました。

 翌日、宿の隣にあった「中原中也記念館」に足を運び、なんとなく高校時代ぶりにインスパイアされて帰路につきました。久しぶりに詩集買ってしまいましたよ。写真は、記念館表札とホテル裏の公園にある足湯。

 
汚れちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる