中1ギャップは必要です

 なんだかんだ毎日書いているので、意地になって続けてみる。というか、やっぱり毎日書いているとたくさんのアクセスをいただけるものですね。4月は1日400〜500アクセス平均です。ありがたいですね。まぁ、新学期・新年度でみなさんもいろんなアイディアをネットに求めて来て下さっているってこともありますが。

 さて、今日は英語教育学特論Aが開始。「リサーチについて」のお勉強が始まりました。

 自分のスキルアップのための「研究」と、英語教育界に積み上げる小さな一歩としての「研究」か。なるほど、後者を目指さなくちゃなぁ。とはいえ、現職教員としては、「帰ってから役立つもの」にもしたいという欲が出てくる…。特に、ぼくは英語が苦手な子たちの支援に役立てたい、という思いも強いので、そういう研究テーマばかりになってしまいます。そうすると、あんまり研究がないんだよなぁ。論文はともかく実践でさえ、探そうとしても、なかなか見つからない。「底辺高での取り組み」なんてレポート、あまり見たことないですよね。

 午後は、研究室で学部のゼミ生たちと交流。

 やっぱり教育学部の学生は違いますね。ぼくは学生の頃、教員採用試験の話題なんて友達としなかったからなぁ。(まわりにそういう人があんまりいなかった) ライバルであり仲間でもある人たちが周りにいる環境は、やっぱり素敵ですね。小学校希望の方々も結構いるみたいだけど、中学校も悪くないですよ!(大変だけど) SETC&ASTEKにも来て欲しいし、今後も交流をしていきたいです。(って、ブログを読んでくれてたらうれしいです)

 さて、そのあとは図書館に籠もって先週からひたすら取り組んでいる特論Cの予習。これがなかなか進まない。そしてようやく終わりかけたところで、某サイトに今後の予定を見つけてさらに目眩が…。おおおおお、まだまだこれは序の口なわけですね。なんか、筑波山に登ってる途中で、その先に富士山を見つけちゃった気分。

 で、自分には難しい課題を前に途方に暮れながら考えたのは、「中1ギャップって必要だよなぁ」ということ。

 小中連携が叫ばれてはいますが、人間の成長に新しい環境で感じる「ギャップ」ってすごく大切だと思うんです。中学校に入ったとき、制服を着て、ボウズになって(時代を感じます)、難しそうな教科書をもらって、といろんなことが変わってすごく戸惑ったけど、一方ですごくうれしかったのを覚えています。なんかオトナになった気分。先が完全には見えないから、おもしろいんです。適量な「不安」って、もしかしたら素敵な「香辛料」なのかも。

 だから、小中学校で先生方が連携するのは賛成。でも「ギャップをなくすこと」に力を注ぐのではなく、両方で協力して「適切なギャップを作って上げること」が大事だと思う。そしてそれを乗り越えていける力を、小学校で育てておくこと。(厳密には育ってなくてもいいんです。そういう壁があることを伝えておくことが十分) 高校に入学した時だって同じです。そこにあるはずの「ギャップ」を乗り越えられる「耐性」を作ってあげなきゃ、と思っています。

 そんなことを考えてました。

 課題に取り組んでいると、「院生になったんだなぁ」という実感が込み上げてきます。まだまだこれからが大変なのに。わくわくもしてくる。ん、もしかして、「ドM」な血が流れているんだろうか?(いや、そんなことはない…はず)