教育のマニュアル化

 もしかしたら、某誌でこのブログを知って、検索して来てくださる物好きな方もいるかもしれないから、一応書いておこう。

 今回、個人的には思いっきりアウェー感の漂うところに登場させていただきました。って、ほんのちょびっとだけど。(本編の方には、見たことのあるお顔も載ってますけど(笑)) このブログではこれまであまりいい扱いをしてなかったのに、そんなぼくに話を聞いてくれるんだから、懐が深い会社です。ぼくとしても「自分とは考えの違うと人たち」の集まるところでこそ、自分の意見を伝えたかったので、そういう機会をいただけてよかったかな、と思っています。

 それにしても、(出してもらっておいて申し訳ないけど)献本していただいた号のタイトルを見て愕然。中身はともかく、「そういうことば」じゃないと読者に届かないのかな? というか、「そういうことば」じゃないと届かない読者層なのか?

 教育に限らないかもしれないけど、なんでも人生の「マニュアル化」が著しい昨今です。もちろん、核家族化だとか、少子高齢化だとか社会の在り方は昔とずいぶん変わってしまったから、仕方がない一面もあると思いますし、助かってる人がいるのも事実。でも一方で、絶対産業界が「不安」を意図的に生み出していて、実は存在していないかもしれない「需要」を創り出してる部分もあると感じています。そういうのが、ちょっと(というかかなり)がっかりなんです。

 そこまでしないとお金が回らなくて、親の仕事がなくなっちゃって、子供も困ってしまう、という日本社会のサイクルがイヤだなぁと思うんです。

 教育マニュアル本には、当たり前だけど「自分の家の子供に得になること」が載っています。でもその陰には、「自分の家の子供だけ」「他の家の子供より」得したい、というホンネが潜んでいます。ビジネスとしても、集団に訴えかけるより個を顧客とした方が、多くの商品を売れるし、個がバラバラに勝手に競い合ってくれれば、それが新たな混沌と需要を生み出すのだから、悪い話じゃない。

 でもそういうのが見えちゃうと、ぼくは興ざめしてしまう。なんで「一緒に伸びていこうよ」って言えないんだよ、と職業柄思ってしまう。あるいは、それはぼくがまだ「親」ではないからかな。それに、よく考えたらそんな本売れないよね。というか、自分の家の子供だけで必死な一般の保護者に「人のうちの子供」のことまで考えろ、とは求めすぎか。それがぼくらの仕事だしね。

 でも、そうやって誰かのためにがんばることって、絶対その人のためになると思うんだけどなぁ。生徒にも(特に力を持った生徒には)そう、語っています。もちろん、「最終的に自分のためになるから、人のためにがんばりなさい」と、損得の話を(少なくとも)小さい子に言うのも微妙だな、と思います。もっと、根底の部分として、「誰かのために働く」というイメージというか概念を、小さい頃に自然に持たせておく必要があると思うんです。論理というより感覚として。

 親だって、誰かのために働いてるんでしょ?(え、違う?(汗))

 今回はいくつか作品を紹介させてもらったんですけど、そんな思いを込めたセレクションになっていると思います。マニュアル本に依存している一部の読者とその子供たちに向けてのメッセージがつまった作品ばかりです。読者にそう気づいてもらえるかは不明ですけど(w

 たぶん、あの本を買っている時点で、その読者層は(形はどうであれ)教育にすごく興味があります。そうじゃない層に、どうやって語りかけていくかが、我々のお仕事ですかね。というか、メディアさんたちにも、そこでこそ協力して欲しいんだけどなぁ。