英語教師失格?

 うーん、あとでまとめて書こうと思ったけど、やっぱりその日のことはその日に書かないと、どんなに大事だと思ってたことでも忘れちゃうから、予習を途中でほったらかしにして徒然なるままに。

 今夜、Twitter上の一部英語教育クラスタにある人から投下されたTweetが、結構波紋を呼んでいた。曰く、

じゃあなぜ半分以上の英語教師がTOEIC730点という低い水準にすら到達できないでしょうか?730点にすら到達できない教師なんて、英語教師失格です

 まぁ、日頃からS先生より「英語ができない英語教師は、英語教育を語るな」と言われ、まずはちゃんと英語力をつけねばと研鑽を積んではいるのですが、まだまだ「低い水準」程度な私。「失格」ですね。

 でも日頃我々を鍛えて下さっているS先生に言われるならまだしも、全然関係ない人の言葉だけにカチン。いくつか反論もしてみたけど、どうも議論にならなそうでさっさと退却。(結局は自分の英語学習法ブログの宣伝誘導のアドバルーンだったことにあとで気づく…)

 とはいえ面白かったのは、このTweetに集まったReplyが、結構「賛成」意見ばっかりだったこと。そうだよね。まぁそんな風に考える保護者だっているでしょう。実際、ぼくなんかよりTOEICスコアのいい保護者はたくさんいるだろうし。そう考えると、「いや、教師の仕事はね、英語を教えるだけじゃないんだよ」という反論は、スコア的にも相手を上回ってから言った方がかっこいい(笑) だから、「英語教師は云々」のところについては、あまり反論するつもりも自己弁護するつもりもないのですが、この議論を眺めていて、なんだかなぁ感じたことがふたつあります。

 ひとつは、

じゃあなぜTOEIC730点以上楽々取れる「有能な」人たちが、そもそも(特に公立の)教員になろうとしてくれないのか?

ということ。

 まぁ、英語ができる人たちの中には、当然それ以外の能力にも長けている方も多いでしょうから、必ずしもみんなが語学教育に携わらなくてもいいと思うんですけど、英語教師のTOEICスコアとかを見ていると、「もっといろんな層の人たちがこの仕事に就いてくれればいいのに」とも思います。

 そんな「有能な」人たちにとって、教師は魅力のない仕事なんでしょうか。

 たぶん、自分のキャリアのためだけに語学を身につけたような人にとっては、まったく魅力がないんだろうな、とは思います。彼らにとっては、少なくとも努力にかかった時間的・金銭的コストに対して見返りが少ない(と思われる)仕事なのでしょう。

 実際せっかく備わった高いスキルを活かして、「スキル教育」にばかり従事できる環境でもありません。そして何より、そんな「割に合わない」仕事にも関わらず、(一時期よりはマシになったとはいえ)本採用になるのは狭き門。だから、最終的には英語力はともかく、「何年かかっても教師になりたい」という人たちだけが残るのでしょう。

 「有能な」でも「そこまで根性のない」人たちにも教師を目指してもらうために、例えば「給料を上げよう」なんて作戦もあるんでしょうけど、そもそもそういう人たちは、長続きしないでしょうね。給料がいいから、という理由では務まらない仕事だと思います。そういう意味では、いくらもらっても「割に合わない」と思います。(あ、でももらえるのなら給料はたくさん欲しいですよ、もちろん(笑))

 そもそも「勉強すること」や「スキルを身につけること」やそのための努力が、全部「自分のため」になりつつある世の中の風潮に、少し不安を感じています。持ち合わせた能力や身につけたスキルを、誰か自分以外の人たちのために使える人になって欲しい、と特に「有能な」生徒にいつも説いています。ある意味、暗に「将来教師も選択肢に入れてね!」とメッセージを送る、地道な勧誘活動に励んでるわけです。

 そして、もうひとつは、

英語がいくら上手に話せるようになっても、ことばで人を傷つけるような人になって欲しくない

ということ。これも、英語の授業を始める中1の最初の授業と、中3の最後の授業で必ず語っていることです。

 Twitter上でのやりとりでは、まともな議論は難しいのはわかっていますが、それにしても英語教師批判をする人たちの「ことばづかい」は褒められたものではない。まぁ、喧嘩売ってるわけだから、そういう意味では目的は十分に果たしてますけど。でも、あの人たちはTOEICは900点台なんだろうけど、自分のことばで相手を怒らせたり、凹ませたりさせてるんじゃ、本当に「スキルがある」とは言えないなぁ。

 ぼくが生徒たちによく言うのは、

人の嫌がることを書いたり、言ったりする人が、もし日本語しかできなければ、嫌な思いをする可能性があるのはせいぜい1億人ちょっとだけど、英語までできちゃったら何十億人を傷つけてしまうことだってありえるでしょ

ということ。日本語だろうが英語だろうが、ことばが道具である以上、道具の使い方も教える責任が我々教師にはあります。

 そういう意味では、ネット上で見かける「極端な」物言いには、悲しくなることが多いです。この辺は、我々がふだんの子どもだちとの関わりの中で、同じように感じてくれる子を一人ずつ増やしていく努力をするしかないんだよな、と思います。

 以上、「言い訳」以外の部分を書いたつもりですけど、とりあえずTOEICスコアでもなんでもいいから、がんばって「あいつら」を上回って、堂々と「言い訳」をしたいです。

 ああ、気がついたら明日の予習が終わらない言い訳はどうしよう…。

2012/11/4 追記

 この記事は意外と時が経ってからもいろんな方に読んでもらえているのでちょっとだけ追記しておきます。

 えっとその後のお勉強で、とりあえず「低い水準」は抜け出してそれなりのスコアになっておりますことを、お知らせしておきます(笑) ちょっとは勉強したのでさすがにそれなりにはスコアが上がりました。(とはいえ、別にTOIEC向けのお勉強はしていません。院生としてたくさん英文を読んだだけです)

 ふつうに働いていた時期はその「ちょっと」すらできなかったわけですから、改めて今回お勉強する時間をいただけたことに感謝しています。