聴いてもらう、という気持ち

 高円宮杯、行ってきました。あ、サッカーじゃない方ね。

 会場はよみうりホール。学生スタッフが恭しく迎え入れてくれました。

 毎年地区大会の運営を担当しているだけに、どうしても会の運営とか演出の方に目が行ってしまうので、今回はそういう視点を中心にレポート。

 影マイクでアナウンス開始。おもむろに幕が開くとステージにずらりと並ぶ決勝大会出場者とジャッジの面々。そこに立つことが栄誉であるからこそ成り立つ素敵な演出ですね。

 会のスピーディーな運営とかっこよさを両立していたのは、スピーカーコールのタイミング。名前を紹介して、スピーチタイトルを言い終わる頃には袖から演台に向かって歩きだすコンテスタント。"Let us welcome Mr.○○!"に呼応した拍手に迎えられ、気持ちを高めて演台にたどり着く。これがかっこいい。そして時間をかなり短縮している。地区の大会では、一番前の席に控えるコンテスタントが、名前を呼ばれてから階段を登って壇上に上がるので、結構時間がかかるんです。

 さて、決勝大会を見たのは初めてですけど、さすがにこのレベルになると、英語の発音で差別化するのは(今の私には)困難な感じ。一方でそのぶん聴衆としては、純粋に中身の方を楽しめたのも確かです。

 私の地区では、審査の観点や配点は市町村の大会から高円宮杯に準じてやっています。Pronunciation:30点、Delivery:30点、Content:40点です。Deliveryの解釈も難しいところですが、発音か内容かで一番難しいのが広域地区や都道府県レベルでの大会なんじゃないかと思えてきました。一番最初の市町村レベルでは、正直参加者のレベルに分散がみられるので、それなりの発音の子はちゃんと入賞すると思います。そして、全国まで行っちゃうと、みんな発音では大きな差がつかないから、やっぱり内容で決まってるんだろうな、と思います。だから、「内容はいいんだけど、発音がもう一息」って子と「発音は綺麗だけど、内容が今ひとつ」って子が入賞枠を争う可能性がある広域地区レベルでの判断が悩ましいなぁと思うのです。

 ただ、配点に微妙ながら軽重があるわけですから、そこに高円宮杯の基準というか想いは感じ取れます。それに、どの項目も単純に数値化できるものではないわけで、だからこそ複数のジャッジがいる。もちろん、「好み」もあるだろうけど、なんだかんだ言って1位を取るような「いいスピーチ」は、やっぱりどっちも満たしているし、どのジャッジにも選ばれる。

 だから、昨日の予選終了後にも「なんでうちの子が落ちたんだ。採点用紙見せろ」と食ってかかっていた残念な保護者or指導者がいたという噂を小耳に挟んだけど、そういう無駄なことやめましょうよ。身近な大人が納得してない顔をしてたら、生徒はどんな顔をしたらいいのかわからなくなっちゃでしょ。

 ただ一言、生徒に「よく頑張ったね。お疲れ様」って言ってあげればいいのに。

 指導者は「コンテストで勝つためには…」という言い方で生徒を指導するべきではないと思います。もちろんその生徒のポテンシャルによって、「県大会を狙えるかも」とか戦略を考えることはあるでしょう。でもあくまでアドバイスは、「その方が、もっといいスピーチになるよ」とか「こうしたら、もっと言いたいことが伝わる」というスタンスにするべき。コンテストである以上、入賞はモチベーションになるでしょうが、確実に1位を獲得できる生徒でない限り(そしてそういう生徒はほとんどいない)、「あとは聴いてくれた人たちに判断していただく」競技なんだから。

 実際、私も入賞者7人を勝手に予想してみたけど、当たったのは3人だけ。私の耳が未熟なのもあるけど、ジャッジ同士だって食い違ってるはずです。だから全員のジャッジの数値が活きるように統計的に処理されていれば、それで十分な気がします。あとは、我々がそれを受け容れる気持ちを持つだけ、だと思うのです。

 どのレベルであっても、参加した生徒たちはみんながんばっています。どこで大会を終えるにしても、その生徒たちが納得した、充実した気持ちになれるようにするのが、我々の最大の仕事だと思います。部活の大会なんかと同じですよね。

 どうか今日登壇した27人にとって、今日という日が、そしてこれまで取り組んできた日々が、人生の大切な1ページとして心に刻まれますように。