話すことは、思考を晒すこと

 英語弁論大会の県大会を観てきました。

 なんだかんだ言って県大会を観るのは初めて。各地区の代表が集まっているだけあって、当たり前だけど地区より全然レベルは高い。みんな堂々と発表しています。

 で、ただ観てるだけじゃつまんないので、自分なりに採点してみることにしました。全国の高円宮杯と同じ「発音30点、表現力30点、内容40点」という採点基準でやってみたけど、これがまた難しい。

 とりあえず発音について、ある程度以上とそれ以下とで自分なりの線は引けたんだけど、その分けた上位の中で優劣をつけることができない。下位の子たちの具体的な課題を個別に挙げることができない。結局は印象評価になっていることに気づいて、まだまだ修行が足りないと実感。難しいなぁ。

 結局、生徒たちの発表を聴きながら、どんな発音が「いい発音」なのかなぁと考えてたんだけど、一番は何より「聞きやすいこと」なんじゃないかな、と感じました。それは「音がクリアであるということ」と、内容をとらえる上で「リズムが心地よいこと」の2つで成り立っているように思います。特に、後者は聞き手が頭の中で言葉を処理していく過程を妨げない(もしくは促進する)スピードと区切りと強弱が大切。というか、上手いなぁと思う子のスピーチは、みんなその辺が「自然」なんです。

 「話すこと」って、その人の「思考」そのものを晒しているんだと思います。そう考えるとちょっと怖いけど、誰かが話しているのを聴いているだけで、その人の考え方や思考パターン、速度が(わかる人には)わかってしまう。もちろんスピーチは用意した原稿を諳んじているだけではあるけど、やっぱりその人の思考を如実に反映しているように思いました。

 単なるスピーチ指導についてだけでなくて、読むこと、話すことの指導をしていく上で、大切なことを学んで来れたように思います。ああ、でもスピーチ指導もしたいなぁ。この大会連れて来たいなぁ。ま、それは2年後のお楽しみ、ということで、それまでに私自身の(実演&指導)スキルを上げておかなくちゃなぁ。