スピーチコンテストの「内容」点はどう評価するべきか?

 まったく時期はずれではあるんですが、少し前に突然スピーチコンテストの評価についてぼんやり考え始めてみたら、特に「内容(Contents)」の扱いについて、なにやらいろいろ考え始めてしまったので、まったくまとまりはありませんが、備忘と思考の整理のため、徒然なるままに書いておきます。ダラダラ長いです。ご容赦を。

 中学生向けの英語弁論大会の頂点である高円宮杯につながるスピーチコンテストでは、100点満点で、発音(Pronunciation)、態度・表現(Delivery)、内容(Contents)の3観点から採点されるのが一般的です。うちの県では発音30、表現3、内容40という配点だけど、地域によっては発音30、表現20、内容50というところもあるそうで、一般的に内容(Contents)の占める割合が大きいです。だからみんなここをいろいろ工夫してきます。

聞いて初めて伝わる「内容」とは?

 素朴な疑問としてあるのは、スピーチにおける「内容」というのは、発表を聞かずに原稿を読んで評価してもよいものなのか、ということです。内容点が、全体の構成やトピックの選び方などを数値化するものであれば、それでいい気もするし、それがOKなら、その分本番中は他の観点の審査に集中することもできます。

 でもそれじゃあエッセイコンテストと何が違うのか、とも思うから、やはり生徒の口から音声として発せられた上で内容を評価するべきなのかなぁ、とも悩みます。でも音声になったことで変わることって一体何だろう?

 というのも、その内容が「正しく」伝わっているかはPronunciationで、「効果的に」伝わっているかはDeliveryで測れるわけです。文字ではなく音声によって伝わることでContentsの価値が上がったり下がったりするなら、それも(Deiliveryとの区別が難しい気もしますが)「スピーチの内容点」に含まれるものなのかも知れません。

 実際に生徒の発表を見てきて、「シンクロ」や「ギャップ」の効果みたいなものが、もしかしたらそれに当たるのかなぁと思います。発表者の見た目やキャラ、声などと、選んだお題のシンクロやギャップです。例えば話しぶりや雰囲気がほのぼのした子が、ほのぼのしたお題を選ぶことで、当たり前ですけど相乗的にほのぼの感が増し、「いいトピック選んだなぁ」という気持ちになります。こういうシンクロは大切ですね。

 反対にギャップも面白いです。実際、その昔私が担当した生徒の例で言えば、「私が髪を切った理由」という意味深なタイトルにしておいて、坊主頭の子がステージの登った瞬間にもう笑いが起きてました。それだけで結構戦略勝ち。そういう「印象」はきっと(見えないところで)「内容」点として少しプラスされているかも知れません。

 こういった部分は、実際に「誰が話すのか」を見てみないと、聞いてみないと、評価できないわけで、原稿だけではわからない部分かなぁと思います。あくまで付加的なものかも知れないけど。

内容点の下位項目とは?

 ただ、これだけContentsの占める割合が大きいにも関わらず、少なくとも指導する現場教員や地域レベルでの審査員段階では、Contentsをどう評価すべきかというコンセンサスは得られていないように思います。だからいろいろ巡り合わせが悪いと、審査員の「好き嫌い」で決められちゃってる感も漂い、不平不満が募るばかり。

 とはいえ、あまり仰々しいものでなく、中学生らしい身近な体験などが含まれるものが「よいもの」くらいの共通認識はされるようにはなってきたと思います。ただしそうなると今度は、身近に衝撃的なできごとがあった生徒の内容が高得点になりがちで、スピーチコンテストは一転して特技自慢・苦労自慢大会に。

 みんなとは少し異なるバックグラウンドを持つ子や、英語以外の何かですごい実績を挙げた子がの話が高く評価され、他の観点の優劣に関係なく勝者になってしまう傾向はどうかなぁと思います。あくまで「英語」スピーチコンテスト、なんですから。

 ちなみに自分の中では、これまでの指導の中で「よいもの」の基準が出来上がりつつあります。いくつか書きだしてみますけど、別にすべてを満たしている必要はなくて、これらの要素のどの部分を強く引き出すかは、その生徒の選んだトピックやその子のキャラによって変えているつもりです。

(1) 生徒自身の体験が含まれているか

(2) 個人的な体験からある程度一般化できるメッセージがあるか

(3) 誰でも遭遇するような体験であっても、導き出さされる結論に独創性があればOK(というかむしろそれを好む)

(4) 聞いている人の感情を動かす一節があるか(泣き、笑い、怒り、悲しみの中では「笑い」が一番取り組みやすいので「笑い」に走る率が高いですが)

(5) 聴衆との(擬似的な)インタラクションがあるか

(6) イントロとアウトロにつながりがあるか

(7) 聞き手の中学生がわかる英語で書かれているか

(8) そもそも英語で語る意味がある内容か(英語話者に聞いてもらいたい内容か)

 もし自分が審査員をやるとしたら、内容をどうやって評価するでしょうか。上記の自分のこだわりや印象点ではなく、いくつかの要素について、客観的に◯✕で評価できるようなある程度ユニバーサルな観点を持っておきたいです。このへんはまさにライティング評価のお話とも重なります。「よい作文とは?」という研究はすでにたくさんありますので、個人的な観点だけでなく、しっかりと勉強したいところです。

スピーチコンテストの波及効果

 地区のスピーチコンテストの審査員は、その地区の英語科の指導主事などにお願いすることが多いです。つまり何回かは経験するけど、(人事によって立場が変わってしまいますので)継続してずっとやってもらえる人はあまりいません。だから専門性を持った審査員が育たない、という課題があります。

 このへんは、コンテストを主催する側のがんばりどころです。毎年毎年審査基準が大きくブレたりしないように、3人の審査員のうち1人ずつ入れ替えていくとか、自分たちの地区からはどういうスピーチを上位大会に届けたいのかというビジョンを審査員と共有するとか、できることがあると思います。偉そうな言い方をすれば、地域で「審査員を育てる」くらいの気持ちが必要です。審査の基準がブレていなければ、指導する側も安心して指導できますので、より地域のレベルが高まっていく土壌が作れると思います。

 難しいのはタテのつながりです。

 地区大会と県大会と全国大会のように上位の大会に進むに連れて、求められる観点が微妙に変わっていくと思うのです。ざっくり言えば、県大会レベル以上になると、どの子もそれなりの発音にはなるので、「内容」勝負でもいいかなぁと思います。でも地区大会レベルでは「内容」だけで決めちゃうのはやっぱり危険。むしろ、音声的に英語がしっかり発話できている子を選んであげたほうが、いろいろ波及効果があるように思います。

 だから地区大会では発音50、表現30、内容20くらいで、上の大会に行くほど内容点が上がっていって、全国では発音30、表現30、内容40くらいになるってのはどうでしょう。こういうタテのつながりって、簡単にはできないので、悩ましいところです。

 もっとも、スピーチコンテストで出場する子の発音だけ比べても、それがその教師の授業の成果とは言えないところがあります。書道の大会なんかもそうですが、学校の授業外のもので比べてる感があります。そもそも、授業とリンクしたスピーチ指導でないと、いくら採点基準や大会の運営方法を改善したところで、本質的な「波及効果」なんてものは期待できないかも知れませんね。

 以上、本当に徒然なるままに。