「夏休みの宿題」に意味はあるの?

 暑い暑い。でも、もうすぐ夏休み。あと一息です。

 今日はそんな楽しい楽しい夏休みにやってくる子供たちの天敵「夏休みの宿題」について考えてみます。

 中学校の夏休みの宿題って、何が一番意味があるんだろう、と時々考えます。これまでの私は、

(1)英単語100個のリスト配布

   →休み明けに確認テスト(スペリングコンテスト)
(2)ワークの指定範囲をやってくる
(3)入試向け問題集の指定範囲をやってくる
(4)洋楽翻訳選手権に応募!(自由課題)
(5)夏休みの日記を5日分英語で書いてくる(2年生以上)
(6)オリジナル・ポケモン紹介文づくり

などを宿題とすることが多かったように思います。

 (1)はかなり一般的な宿題の例かと思います。でも、子供たちにとっては「覚えてくること」が課題なので、休み明けのテストが終わるまでは「宿題終わった!」と思えないところが苦しいところ。反対に言えば、早めに練習しておいても休み明けのテストの時に書けないと意味が無いので、休みが終わってから準備するほうが場合によっては効率がいいとも言えます。それって「夏休みの宿題」としてはどうなの?とも思います。

 そして「覚えてくること」が肝心であるにも関わらず、範囲の単語を一律に10回ずつ練習してくることを課題にする先生もいますけど、あれも疑問です。すでに覚えている子にとってはただの苦行です。手の運動でしかありません。なので、ぼくがその手の宿題を出す場合は、せめて意義のある練習になるようにと、「でそ単」タイプの練習用紙を配布して、「3回は全員書く、それ以上は自由」という風にしています。それでもテストのために必要に応じて練習してくる生徒が多いです。

 単語練習についてはまだまだ思うところはあるんですけど、スペリングコンテストの意義みたいなものを根本から崩しかねないので、その話はまた今度。

 (2)(3)のようなワークブック的課題も一般的ですね。「夏休みの友」的なものも含めて、ワークブックのような自学教材を使っての学習も個人的にはどれくらい成果があるか疑問です。特に英語は(少なくともああいうスタイルでは)自学が難しい教科のように思います。「知っているか、知らないか」の問題が多いですからね。「できた!」と思わせるようなワークブックが出てくればいいのになぁ、と思っています。

 (4)(5)(6)のようなwritingや翻訳の課題も、時間のある夏休みだからこそ取り組ませたいところですが、全部生徒に丸投げでやらせるのはやっぱり苦しい。ドラフトが書けた時点で教師がチェックしたりアドバイスしたりできる仕組みがあればいいんですけどね。昔のように「登校日」とかがあれば、できなくもないかな。もしくはみんながメールやネットを使えることが前提になれば、メールで途中経過を提出、なんてことも可能になるでしょうね。そうしたらすごく意義のある宿題になるかも。ちなみに(6)のオリジナル・ポケモン課題は、授業で好評だった活動を発展させておこないました。詳しくはこちら。
 →「ポケモン書けるかな?その2」

 こうして考えてみると、そもそも「夏休みの宿題」というものに、授業と同じような学びの量を期待することは無理だよな、と気づきます。もっとも、それが可能であったなら、私たちが授業をする意味がなくなっちゃうから当たり前なんですけどね。それでも「せっかくやらせるなら」と欲張ってしまう私が悪いのでしょう。本来は英語に限らず「毎日少しずつでも机に向かう学習習慣を作りたい」というのがねらいだったんだと思いますし。

 しかしその肝心な「継続性」をチェックできる機能が、今の「夏休みの宿題」システムにはないんです。このへんは、先ほどのWriting課題でも述べたように、メールやネットの利用がデフォルトになれば、少し実現できそうなところでもあります。そうなれば生徒のワークの進み具合もネット上で一元管理できるようになるでしょうし、個別にアドバイスをしたり、叱咤激励もできるようになります。デジタルワークブックの登場には、すごく期待しているところです。

 もっともそんな時代になったら、生徒にとっては、「夏休みの宿題」がさらに悪魔のような存在になってしまうだけかもしれませんけどね。教師の方も、休み中にやたら多い会議や出張が減らない限り、そんな指導・支援は不可能ですね。

 個人的には、宿題のない夏休みが希望です(笑)