大学を広告する言葉

 最近電車の中で、大学の広告をよく見かけます。
 
 これから夏休みということで、オープンキャンパスの告知シーズン真っ盛りなんですかね。広告会社の方で各大学からの広告を集めて、キャンペーン風に車両をジャックしていたりもします。ぼくは広告が好きなので、思わずそういうのをじっくり観察しちゃいます。デザインも気になるし、さらに気になるのは各大学のキャッチコピー。

 ポスターに大きめの文字で踊るのは、オープンキャンパス向けのコピー。多くの学校巨大フォントの「OPEN CAMPUS」というタイポグラフィだけで乗り切ってる中で、文教大学の、

みたいなのは、オープンキャンパスの目的そのものを伝えようとしていて、ちょっと工夫してますね。他の大学のでも、学生が登場して高校生からの質問に応えるFAQタイプの広告もいくつかありました。「うちの大学に来ると、こんな職業になれます!」アピールが多いですね。

 で、もっと気になるのが、オープンキャンパスに限らず一般的に大学を宣伝するキャッチコピー、もしくは大学のロゴに書き添えられてあるおそらく長期的に使われている企業スローガン。昔はこんなのなかったと思うんだけど、今は多くの学校が何かしらのスローガンを載せてますね。大学全入時代で食うか食われるかですから、どこも必死です。

 気になったので、車両内を歩いて見かけたコピーをメモメモ。あ、ぼくがその日乗ってた路線で見かけた広告なので、大学にはローカルな偏りがありますがご了承ください(笑)

 世界へ、そして未来へ(神奈川大学
 見つめる人になる。見つける人になる。(相模女子大学
 「実工学」ものをつくる ひとを育てる(日本工業大学

 同じような言葉をちょっと変えて繰り返すこれらのパターンは、自然とリズムができるので綺麗ですね。個人的には一文字変えただけで意味を発展させている(深めている)相模女子のがよくできていると思います。 ちなみに検索してたら、この広告のグラフィックを担当したアーティストのブログも発見。

 「モラリスト×エキスパート」を育む。(立正大学

 立正大のスローガンは、短い言葉なので具体的とは言えないですけど、自分たちの大学がどんな人を育てようとしているのかを伝えようとしているので、大学の「企業スローガン」としてはひとつのあるべき形かなと思います。

 ヒト、ミノル、大学。(東京工科大学
 ミライ ミノル 杜。(共栄大学

 うーん、無意味にカタカナを使うのは個人的にはどうかなぁと思います。「力」を「チカラ」と書いちゃうくらい、ちょっと残念な感じ。「ミノル」もカブっちゃったし、実は同じ人が書いてたりして(笑)

 学生を、思う。(平成国際大学
 目白、のち、スマイル!(目白大学

 この句読点でかっこよさを演出パターンも、まぁコピーとしてはよくあります。かっこいいことはかっこいいんだけど、何を言いたいのかがわからないのが難点です(笑) そして目白大のは、「『のち、スマイル!』ということは今スマイルじゃないのか?」とツッコミを入れたくなる気もしますけど(笑)

 4年間で、なりたい自分に一直線。(関東学園大学
 まぶしい夢に。(足利工業大学
 Switch on!(文京学院大学

 その他はこんな感じ。ふむふむ。

 今回眺めたのは沿線の大学ばかりですけど、メジャーな私立大学や国立大学でも、企業スローガンやキャッチコピーをつけています。

 早稲田からWASEDAへ(早稲田大学
 Men and Women for Others, with Others(上智大学
 あなた自身を拓く(お茶の水女子大学
 世界知の蓄積と、地球社会との協働を(東京外国語大学
 学問は、最高の遊びである。(広島大学
 あなたとともに 100万人の仲間とともに(日本大学
 勇気ある知識人(名古屋大学

 このへんはみんなかっこいいこと言ってるなぁ。アカデミックなブランドイメージを全面に出してます。そんな中、日大のはリアルというか、事実をシンプルに伝えてて重みがありますね。こういうの好きです。

 数年前に専修大学が、おそらく国内で初めて全国ネットでのTVコマーシャルを流しました。国立大学も国立大学法人になって、より経営戦略を問われるようになってきました。この頃から、学校教育の商業化というか学校の企業化が顕著になってきたように思います。

 同時に、生徒・学生たちの消費者化も進んでしまいました。お金を払ってサービスを受けるという受動的な姿勢は、おそらく大学や高校といった上級学校に行けば行くほど、教育活動に歪みを産み出してしまっているのではないかと思います。

 「学校」も「広告」も好きな私ですが、その2つが重なることに少し抵抗もあります。学校って、もっとお金から遠いところにあって欲しいような気がするからです。いや、実際には教育には多くのお金が必要なのですが、それがあまり見えないようにして欲しいな、と思うんです。数値化できるものばかりが教育成果みたいに語られるようになってしまっては嫌なので。

 そうか、私は「広告」の中の「表現」や「アート」の部分が好きなのであって、「ビジネス」や「お金」の部分は好きではないんだな、と再認識。だから「こっち側」にいるんだろうなぁ。