校長による「哲学」の授業を参観して

 英語で書くのに疲れると、筆休めに日本語で書きたくなります。きっと英語の場合、頭の中にあることがアウトプットされるのに手間取るので、ストレスが溜まるんでしょうね。こうやって日本語で考えながら書ければ楽なんですけど。
 
 さて、先日近隣の私立中の「教育実践研究発表会」に行ってきました。私立校がこういうのをやるのって珍しいと思うんですけど、英語の授業も公開されるし、貴重な機会なので参戦してきました。

 でも実は一番のお目当ては、校長による中1「哲学」の授業でした。

 校長が週に1時間、中1全員(3クラス)を相手に、講義&ワークショップをしているようです。この校長、もともと県立高校で実績のある名物校長で、学校説明会に来た保護者の多くがファンになってしまうという噂の、なかなかカリスマ的な人なんです。ということで、一度お話を聞いてみたかったんです。

 授業の内容は、「学ぶ」ということについて書かれた市川伸一氏の著書の中の4ページを読んで、キーワードを3つ選ぶ、というのが中心的なタスク。ただし、自分なりの答えを決めた後、3人組で話し合い、グループとしての結論を決める必要があります。また、このキーワードを使って、「学ぶとは?」という自分たちなりの定義を考え出します。

学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策

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 印象的だったのは、考えたキーワードの答え合わせの場面。

 「自分たちなりの答え」を考えさせつつ、最終的には「校長先生はこれが正しいと思う」という「解答」を示していました。diversityを生み出すopenな構造ながら、最終的にはよりよいものを選ぶというclosedな収束のさせ方ですね。生徒も「校長先生はどれを答えに選ぶのだろうか」ということを考えることが、知的に楽しいと感じているようでした。

 ふと以前、open-endな発問を設定してmicro-teachingをしたところ、「で、答えは?」「準正答はどこまで?」と先生に聞かれて、「生徒の多様な答えが導きだせればいい」とだけ考えてタスク設定していたことにダメ出しをされた自分を思い出しました。こういうタスクを設定する際には、「いろいろあっていいけど、こっちの方がいい」「それは○○だから」と生徒を説得できる力が教師に必要だな、と感じました。

 また、3人組で話し合わせるというのが絶妙だなぁ、と思いました。

 3人での会話って大人でも難しくて、誰かが誰かに賛同したときに、あえて「いや、それって違うでしょ」って意見を言うのは結構難しいものです。だから「そういう時は意見を言わない」っていうのがある意味日本的なストラテジーなんでしょうけど、この学校ではあえてそこで意見をぶつけ合わせることを狙っているように思います。しかも、3人組はそれぞれ別のクラスの生徒で構成されています。いろいろ考えてるなぁ。

 答え合わせの際にも、グループで選んだ答えが不正解だけど、個人で選んだ段階の答えなら正解だった生徒は不満げな声を挙げてましたが、「それは、他の2人を説得できなかった君の責任だ」と切り捨てる校長。だから「自分の意見をちゃんと言え」「」友達の意見をちゃんと聴け」と訴えてました。

 「哲学」という教科名ではありますが、あくまで「メモをする」「意見を言う」などの学ぶためのスキルや、ものごとをメタに分析して本質を見抜くようなスキルを身につけるための講座、という印象です。ただ、ここでの学びが、ふつうの教科の中で生かされていくようであれば、とても面白いと思います。きっと総合的な学習の時間ってこういうことも期待されていたような気もするんだけど、これって授業者に相当高い能力を要するよなぁとも思いました。

 教科の授業も参観したんですが、校長がねらいとするような授業にはまだ到達していない感じでした。でも、そもそもNew Treasureを使った授業を参観したのって初めてだったので、貴重な経験でした。参観者が塾関係者ばっかりな感じだったのがちょっと残念でした。もっと私学と公立でシェアしていければいいのに、と感じました。