教育実習生に何を教えるのか

 某所で実習生の研究授業を見る機会がありました。

 今回ちょっと面白い試みだったのは、複数の授業者がほぼ同じ授業プラン&アクティビティで授業をしたこと。個人的には教育実習の在り方を考える、いい機会になりました。

 実習生に、実習期間に何を教えるのか、っていうのは、本当に難しいところです。2週間とか3週間とかの短い期間で、こちらの生徒の状況も踏まえながら、さらにその実習生本人の(学んできたorもともと備わっている)スキルも踏まえて、その実習プログラムを考えるんだけど、つい欲張ってあれもこれも教えたくなります。でも消化不良になりがちで、その実習生の課題も拡散してしまって、力をどこまで伸ばせたのかあいまいになりがちです。

 今回、同じ授業プランで研究授業をしたことで見えてきたのは、その実習生の「基本的な授業スキル」と「英語力」でした。教師の働きかけによって、同じ活動をやらせてるのに、生徒の顔つきが違ってくる。生徒は正直なので、このへんはシビアです。実習生は、他の実習生の授業(やその際の生徒の反応)を自分のものと比べながら、いろんなことを学べたのではないかと思います。

 もちろん、活動プランを自分で考えること、そしてそのプランで実際に授業をしてみること、さらにそれがうまく行ったり行かなかったりして考え直すような経験もさせてあげたい。って思わず考えてしまうところがまぁ「欲張り」なわけではあるんですが、そこが教師の仕事の醍醐味のひとつであるのも確かです。

 でも、たまたまここのところ考えていたことと重なるのですが、授業後の研究協議における議論の中心が、授業でおこなわれていた「授業プラン」や「アクティビティ」にちょっと偏っていないでしょうか。それだったら、ぶっちゃけ指導案だけを見て、授業を見なくても議論できます。しかも、そういった「アクティビティ」そのものは特定の環境(校種、学年、生徒の状況、生徒の習熟度、題材、文法項目)に限定されることが多いので、ちょっと汎用性がなかったりします。(もちろん活動の本質をメタに分析することで普遍的な原理原則を見つけ出すプロセスにも、意義はあります)

 一方で、生徒への「指導スキル」そのものを磨くタイプの研修がもっとあってもいいと思います。指名の方法、板書の仕方、活動の指示の出し方、説明のあり方など、ちょっとした変化で、生徒の活動量や活動の質は大きく変わってきます。

 そういう意味で、今回の「みんなが同じ指導プランで授業をする」という取り組みに、とても意義があると感じました。年次研修などで、もっと取り入れられてくるといいと思います。またこういった「指導スキル」は、教科や校種を超えて共通する部分もあるので、教科内の垣根に閉じこもりがちな授業研修を全校規模に広げるためにも、よい視点だと思います。(こういう部分は、全教科に関わる小学校の先生方の方が、進んでいるかもしれませんね。)

 実習生への指導の話に戻りますが、今後こんな「習熟度別学習」も面白いかな、とふと考えました。

 例えば1週目はこちらが指定した20分くらいのアクティビティをしっかりこなせるかというタスクを課し、クリアした実習生には、2週目に指定した指導案で授業をさせる。それもクリアした実習生には、3週目にこちらの与えた目標を生徒がクリアできるような授業プランを自分で考えさせて、授業させる。クリアできなければ、その部分がしっかりできるようになるまで支援する。どうでしょう?

 実習生に何を、どこまで、どういう順番で教えるか、ということを意識したこちら側の「指導案」をもう一度考えてみようと思いました。実習生のみなさん、そして指導教員のみなさま、お疲れ様でした。

 そして、授業で歌ってたこの曲が頭の中で無限ループなう(笑)