「協同学習」を通して見える「英語科」のいろいろ

 現場に戻ると、やっぱり日々の業務が忙しくて英語教育のことばかりじっくりと時間をかけて考える余裕がないものですね。ブログの更新も滞りがちで恐縮です。

 ということで、たまには昨年までの生活を思い出そうと、久しぶりのカフェ読書。短時間でしたが、いろいろ考えることができました。

 読んでいるのは少し前にもご紹介した英語科における「協同学習」を考える本。まだ第2章までしか読んでませんが、読みながら感じたことを思いつくままにメモしておいたので、少し整理しておきます。

音楽科と美術科との英語科

 まず気になったのは、コラムで紹介されていた音楽科での音楽科での協同学習実践。

 ここで出てくる実践は「オリジナルのお囃子をつくる」というタスクで、英語学習でのbuzzワードでもある「自己表現」的な取り組みなのが興味深いです。やはり、協同学習に向いているのはこういったクリエイティブなタスクなのでしょうか。

 音楽科って合唱や器楽の指導を見る限り、個性的で自由な表現力だけでなく、「正確さ」にこだわって指導するように見えます。音が外れていれば演奏を止めて、正しい音を提示して、やり直しさせますよね。その一方で、こういう「自己表現」的な活動は、音楽科の授業の中で、何パーセントくらいを占めるものなんでしょうね。音楽の授業を外国語の学習に重ねることは私もよくやるのですが、今回の引っ張り方は、本当に音楽の授業の本質を踏まえてのことなのか、見極めたいところです。

 なんてことを考えていたらさらに脱線して、美術科とも比べてみたくなりました。

 ソースは自分のまわりの先生方なので、あくまで印象論ですけど、美術科の教師は、音楽科によりもさらに学習者の個性やオリジナルの自己表現を重視する人の比率が高いように思います。

 音楽教師は生徒の出す音が外れていれば「気持ち悪い」と感じるはずです。美術には「楽譜」はないけど、造形的に整っていないものはやはり「気持ち悪い」という感覚があるんじゃないのかなと思います。それでも、「生徒の個性が出ているから」という理由で生徒のありのままの表現をよしとする心情は、ミスがたくさんあっても生徒ががんばって英語で表現したからGood!と言う英語教師のそれとすごく似ているように思います。英語教師は(あるいは美術教師は)自分の「気持ち悪い」という感情とどう向き合うべきなんでしょうね。

イデオロギー

 さて、この本全体を通して感じるのは、協同学習という手法の根底に流れる思想です。むしろイデオロギーと呼ぶべきでしょうか。佐藤学氏は「「学びの共同体」について「特定のイデオロギーやマニュアルに結びついたものではな」いと断っていますが、この本を読む限り、強烈なレジスタンスな勢いを感じます。個人的には、実践そのものに魅力があるんだから、そんなに力を入れなくてもいいのに、と感じてしまいます。

 その思想がいいか悪いかは別にして、協同学習が特定のイデオロギーや宗派と結びついて語られてしまうのはやはり残念に思います。そのせいでかえって協同学習という考えが広がっていくのにブレーキをかけてしまうこともあるように思うからです。個人的には、「手法」が広がることで、じんわりとやんわりと「根底にある考え方」も浸透していく、くらいのスタンスでいいんじゃないかと思います。

 一般的にこの協同学習の取り組みは「遅れがちな生徒」を大切にしたいという願いを全面に出す新英研などの人たちに強く支持されていると思います。面白いのは、そういった人たちの中には、平和教材など「コンテンツ(内容)」の指導にこだわる人たちと、会話重視の流れに反発して丁寧な文法指導(形式)にこだわる人たちが同居していることです。それぞれの実践は蓄積されているものの、形式と内容の間をつなぐ取り組みが不足していたように思うので、「協同学習」はそういった人たちの財産を有機的につなぐフレームワークとしての役割が期待されているんだと思います。

 実際に本書で紹介されている船津実践は、語順整序で「形式」を考えてから英文整序で「内容」を考える、という両面が設定されており、ジグソー学習という協同学習のスタイルとの相性もよく、とても効果的なタスクになっています。こういう実践を地道に蓄積して、シェアしていくことこそ、協同学習が広がっていくために大切だと思います。

冷静と情熱のあいだ

 さて、第2章までしか読んでないのに好き勝手書いてますけど、その第2章最後のコラムで、亘理先生(静岡大学)が協同学習の現状と課題について客観的に分析しています。協同学習が万能ではないことを明かしながらも、第2言語習得の他の言説との関連を冷静に綴っています。個人的には、この内容で一章書いていただきたかったです。

 きっと多くの先生方は(程度の差こそあれ)「協同学習的な何か」を授業の中に取り入れてきていると思います。そして少なからずそういう取り組みの効能を肌で感じていると思います。そういう先生方にとって、この本に期待していたことは、専門家の方々に冷静に協同学習を論じてもらって、教師が自分の立ち位置を確認することだったと思うのです。第3章以降は具体的な実践例が続きますので、理論編の中でそういう部分がもう少しあってもよかったかなと思います。

 第3章以降はこれから読ませていただき、また気がついたことがあれば感想を綴らせていただきます。

協同学習を取り入れた英語授業のすすめ (英語教育21世紀叢書)

協同学習を取り入れた英語授業のすすめ (英語教育21世紀叢書)