少人数授業で起こりうる同僚問題をスマートに解決する授業方法

 書けるときに書かないとなぁということで連日の更新。ブログ記事はケチャップみたいなもの。書けるときはドバドバ出るw

 今年度、2年生の授業ではもう一人の英語科の先生と一緒に少人数指導に取り組んでいます。

 英語科における少人数指導については、実はこれまであまり賛成ではありませんでした。というか「少人数であること」にはメリットが多いんですけど、「複数の教員で担当すること」にはデメリットの方が気になってしまいます。

 いろいろやりすぎて進度が遅くなりがちな私は、もう片方のクラスの進度が気になります。しかもあまり変わったことやると「もう一つのクラスではやってないのに!」と生徒から不満も出がち。そしてやってることが違うと評価も難しいですよね。とはいえ、ワークシート共通でとか揃えるとそれぞれの教員の個性も出せず息苦しいし、こっちがつまらないと感じているとそれは生徒にも伝わってしまう。こういう悩みは一部では「D問題(同僚問題)」とも呼ばれ、別に少人数指導に限らず一般的な悩みとも言えますが、同じホームルームクラスを2つに分けてたりすると、そういった生徒の反応などがより顕在化しがちです。

 でも今回は少人数指導に取り組むべき状況でもあったので、そんな課題を解決できる方法はないかと、ちょっとだけ変わったやり方に取り組んでいます。

 現在、1クラス(40人!)を2つに分け、週4時間ある英語の授業を、それぞれの教員が2時間ずつ交代で担当しています。しかもA教諭は教科書を中心に単語、読解、音読、再生などを、B教諭は文法導入、会話練習、ライティングなどという風に、指導内容もスキルベースで分けています。高校の授業がスキル別ではなく統合して「コミュニケーション英語」なんて授業になったのとは真逆の流れですね。

 実際の指導計画は、こんな感じで1ヶ月分まとめて組んでしまいます。

 この表では少人数クラスをそれぞれ赤青黄緑の4色で表記していますが、青組はA教諭とLesson1-Bを読み、次の2時間はB教諭とlookやlook likeなどを練習する。その後はまたA教諭と教科書の続き、という流れになります。
 
 このシステムにして2ヶ月経ちましたけど、今のところ順調です。よかったなと思うのは以下の点。

教材研究が半分で済む!

 教科書なら教科書に関するところだけ準備すればいいので、負担が軽くなります。小さな学校ですのでどうしても2学年教えることになりますから、これは本当にありがたい。そのぶん、じっくりと練ったものを提供できています。

やることが整理される!

 ひとりで担当していると「終わらなければ次回でいいか」とズルズル後ろにズレていってしまって、進度が遅くなりがちですが、2時間でもう一人の先生に生徒をお返ししないといけないので、緊張感を持って進めます。それで教え方が雑になってしまうといけないですけど、無駄な部分を省こうという意識は前よりしっかりあります。おかげで進度は保てていますので、試験前にしっかり復習して取りこぼしがないように指導できていると思います。

やったことを評価できる!

 全員が両方の教師に教わりますから、どちらの授業でやったことも評価に直接つなげることができます。グルグルも歌のテストも、やりやすいです。定期テストの問題も、読解問題などはA教諭、文法問題などはB教諭が作成を担当するので、「次どっちの先生が作るの?」みたいな生徒の不安も解消されます。

自習がゼロに!

 どちらかの教員が出張で学校を空けることがあっても、もう一人が一斉授業で進めておけばいいので、自習がなくなります。(上の進行表だと紫色のところが一斉授業) その分、今回出張だった教員が次回は一斉で別の内容を進めれば進度は問題ありません。その次からまた少人数に戻します。私は最近出張が多いのでこれは本当に助かります。
  
 同じような実践をされている学校もきっとあるかもしれませんが、私の周りではやっている学校をこれまで聞いたことはなかったので、今回は得意気にご紹介させていただきました。一般的な少人数指導だと、自分の担任のクラスでさえ、半分の生徒しか教えられないこともあります。進路指導などを考えると、保護者に生徒の学習の様子も伝えられない、なんていうのも悩みのひとつです。こういう点も解消できるので、なかなかオススメな方法だと思います。

 最近は、英語の授業に限らず、「みんなで少しずつ分担する」というワークシェアリング的な発想が、学校には大事なんじゃないかと思うようになりました。スーパーな教師が一人で全部抱え込んで解決するんじゃなく、普通の教師たちがみんなで少しずつ負担する。生徒もいろんな教師と関わりながら、自分の居場所を見つけていく。「学級担任」なんて業務も、まさにそんな転換が必要な時期に来ていると思います。

 もっと言えば、学習以外の部分を、学校以外の人たちと分けあいあながら、指導していければいいんですけどね。「○○教育」なんて言葉が毎年新たに学校のお仕事として追加されていく現状では、ちょっとすぐには難しいかもしれませんけど。

 最初にも触れましたが、そういう意味で、高校の英語授業が「コミュニケーション英語」に統合されてしまったのは残念です。いろんな考え方、教え方、学び方があることがわかっているんだから、細分化したまま、みんなで少しずつ関わっていけばよかったのに、と思います。いっそ「訳読」という授業を週2くらいで位置づけてしまった方が、結果的には文科省がやらせたいような授業も広まっていったのではないかなと思ってしまいます。

 なんて、久しぶりに真面目な記事w