「じゃないほう」の効能を考える

 亘理先生(静岡大学)のブログ記事がとってもinspiringだったので、関連して書きたいことが湧き出てきて、記事になりました。いや、本当は11月に静岡に伺った頃に書いておきたいことだったんですけど、今になっちゃいました。私としてはきっかけをいただいて、ありがたいです。

 ということで、まずは亘理ブログ(前篇)を読んでみて下さい。

 >>On speaking terms(亘理研究室)

 11月の静岡での研修では、グループでビデオレターへの返信動画を撮る、という授業を参観しました。「ICTを活用して」という縛りがある研修でしたが、あえてシンプルに「撮る」という機能のみでICTを活用してて、しかもその「撮る」の効能を言語学習(練習)に最大限に活かした、とても面白い授業でした。

 でも、研究授業の活動を見た先生方からは「これは『やりとり』でも『発表』でもないから、学習指導要領のどこに位置するんだ?」みたいな意見も出てたので、その場でこんな図にまとめてみたわけです。

 で、「いやぁ、『じゃないほう』だって大事だし、今までみんなやってきてたじゃん」ということを伝えました。

 確かに今回の授業は、予めある程度用意した台本っぽいものに従ってグループでカメラの前で会話を再現するという、言ってみれば「スキット」なわけで、純粋な「やりとり」とは言い難い。でも、これまでだって「スキット」の練習を取り入れた授業はたくさんあって、それぞれ効能を期待して授業でやってきたわけです。

 また、12月に地域の研修会(三郷)で見た授業では、トニー・ブザン式のマインドマップを活用して、自分の夢をスピーチする、という活動に取り組んでいました。これって、いわゆるスピーチと違って、原稿は書きません。マインドマップ上のキーワードを見ながら、文やディスコースを組み立てて話す、という活動で、むしろスピーチよりレベルが高いことを求めているかもしれません。

 これも、純粋に「発表」というよりは、impromptuという点では「やりとり」に近い活動で、新学習指導要領の言う「やりとり」「発表」という枠組みに収まらない活動だと思います。

 どちらの授業も、若手の先生が自分で考えて、チャレンジしてくれた意欲的な授業で、私もとても刺激を受けました。そして、こういう活動が、「やりとり」「発表」の枠からはじきだされたために、授業であまり見られなくなってしまうとしたら危険だな、ということです。

 「じゃないほう」にも価値があって、むしろいわゆる「やりとり」「発表」につなげるための(あるいはその先の)大切なステップであると思うのです。

 台本ありのスキットなら会話形式であっても「発表」だし、その場でキーワードを参考に自力で英語を組み立てるなら、スピーチ形式であっても「やりとり」に近い即興性が求められる。だから新学習指導要領も、「やりとり」「発表」みたいな形式よりも、preparedなのかimpromptuなのか、モノローグなのかダイアローグなのか、みたいな視点で整理すべきだったと思うんですよね。

 たぶん、「ヨンギノー!」「スピーキングテストー!」という流れに持っていくための「やりとり」という新領域の提案だったと思うんですけど、「やりとり」自体は特に中学校ではこれまでも授業で取り組まれてきたかなと思うので、それだったらむしろ「話すこと」の手前のステップとしての「音読」みたいなものにも光を当てて欲しかったな、とは思います。(いや、パブリック・コメントで送ったんですけど

 じゃあ、相手によって「やりとり」の難易度も深さも変わってしまうよね、フィードバック難しいよね、という亘理ブログの後半テーマについては、長くなっちゃったので次の記事で取り上げたいと思います。亘理ブログのせいでおかげで、休日にもいろいろ思い浮かんじゃって大変ありがたいです。