授業をする教師の思い、授業を受ける生徒の思い

あるブログ記事へのコメントをいただいたのですが、内容が私の授業実践に関わることではなく、他の英語の先生に対するものだったので、コメントの掲載を控えさせていただきます。本当はコメントを書いてくださったご本人にのみこのメッセージをお届けしたいところだったのですが、メールアドレス等の連絡先が書かれていなかったので、こちらにてお伝えさせていただきます。といっても、ご本人がこの記事を目にするかはわからないのですが。

 

文面からすると、その先生に英語を教わった生徒or卒業生さんなのかな、と思われます。もっとこういう授業をしてほしかった、という思いもあるのかも知れませんが、今回は先生個人が特定される書き方をされているので、ここにお載せすることができません。ご理解ください。

 

別に黙ってコメントを「削除する」にすればよかったことではあるのですが、私にとってはとても興味深いことでもあったので、今回はわざわざ記事にしてみました。というのも、教師の側の視点で英語教育を語ってきたこのブログでは、そのような生徒の側からの視点や意見を、これまで直接取り上げてこなかったな、と気づいたからです。

 

個人が特定されない形で、どういう授業がいい授業なのかを考えるような書き込みであれば、それが生徒の側の意見であっても、私はきっとコメント掲載を承認したのだと思います。そのコメントを巡って、他の生徒や教師が意見をぶつけ合うような場所があっても面白いだろうな、とも思いました。今思ったので、このブログがそのような場を提供できるかは、まだなんとも言えないんですけど。

 

 

セミナーなどでよく生徒の書いた感想などをご紹介いただくこともありますが、教師に提出したものではないところに、生徒のさらに率直な思いが現れることもあると思います。今回のコメントなどを読んでいると、1人の先生、1つの授業に対する生徒の思いというのは、本当に多様なのだな、と改めて感じさせられます。

 

すべての生徒にパーフェクトな授業を提供することは困難です。それでも、少しでも多くの生徒に届くように、先生方は工夫と努力をされていますし、場合によっては授業外のところでフォローをしていたりします。あるいは、すべての生徒の好みのスタイルではなかったとしても、実際に(英語の)力がつくことで納得してもらえるように、努力する先生もいます。

 

私なんかはズルいので、一人の生徒の英語力を作り上げているのは、一人の教師(自分)だけじゃない、塾の先生だって、校内にいる別の英語の先生や高校でお世話になる先生方、何より生徒本人の努力の賜物だから、という話を生徒にしていました。「私のやり方が合わなくても、高校で出会った先生のおかげで花開く人もいるよ」なんてことも伝えます。

 

そして、特に3年間持ち上がりで指導できる学年については、できるだけいろいろなスタイルの授業をやるように心がけていました。限りなくコミュニカティブな授業から、あえて訳読中心のやり方まで結構振り切ってやってたつもりです。その中で生徒自身が自分に合うスタイルが見つかればいいと思うし、高校に行って戸惑わないようにしてあげたい、という思いもあります。

 

「中学校3年間、私に教わるというのは、ものすごく幸運かも知れないし、ものすごく不運かも知れない」

 

生徒に言っていたそんな言葉をふと思い出しました。ああ、そうか、今の大学でも、英語科教育法の担当者は私一人なので、「英語の教職」に対する見方を広げられるような授業を、後期も頑張らないとなぁ、と改めて感じました。