学校の商品化を憂う

 学校と保護者(地域)の立場がすっかり逆転してしまいました。「専門家受難の時代」と夏にあった講演会で聞いたけど、まさにそんな感じ。学校はすっかり選ばれる「商品」になったので、つねに「完成品」を求められるし、気に入らなければ(そう、その人が気に入らなければ)クレームをつけられるし、どんな理不尽なクレームでも(そりゃあ民間なら当たり前だろうけど)誠意ある対応を求められるし。

 こっちとしては「親に現状をわかってもらわなきゃ」とか「この子たちを将来どんな親にしようか」ってことに必死なのに、指導が入らない。最近の親は「先生の言うことだって、すべて聞く必要はないのよ」とまで言っちゃうからなぁ。子供もすっかり「お客様」の気分のようです。

 すばらしい先生チェックリスト

 □わかりやすい毎日の授業。
 □土日も熱心な部活指導。
 □いじめのまったくない完璧な学級経営。
 □学年・学校の雑務もスマートにこなす。
 □なおかつ家庭も大切にする。

 我々に求められているクオリティはものすごいです。よっぽどの「スーパーマン」じゃなくちゃ、そんな「立派な教員」や「まともな教員」にはなれないような気がします。ぼくなんか足下にも及ばない。

 そもそもいろんな教員がいていいと思うんですよね。例えば、怒鳴り散らすような「怖い」先生じゃないと授業がなりたたないのってナンセンス。定年間近のおじいちゃん先生でも、大卒の見習い教師でも、誰が教壇に立っても、リスペクトされるべきだと思うんです。そうじゃないと、素敵な教員も育たないし、有能な人材も集まって来ないでしょう。そんな奴隷のような仕事は誰だってやりたくない。

 もちろん、「????」な教師もいるかもしれません。「教師は偉い」という前提にあぐらをかいている人は、決して少なくないでしょう。でもそれは今も昔もおんなじこと。理不尽だなぁと思っても、「あんたが悪い」と子供に言ってくれるような親のフォローが欲しいものです。少なくても子供の前では。あとでこっそり苦情を訴えてもいいからさ。

 かつて(自分が教員になりたての頃は)、「学校ってもっと企業努力をするべきだ」と思っていたけど、ここ数年来の「市場原理導入の波」を浴びて、持論を曲げつつあります。いや、立場を守りに入ってるわけじゃなくてね。特に公立学校では「どこでも同じサービスが受けられるべき」だと思うんです。

 最近、世の中が「ミス」に対して異常に敏感で、それに対して集中攻撃をする姿勢が(マスコミを先頭として)出来上がりつつありますよね。なんか怖いものを感じます。ストレス発散のはけ口のような。実際「郵便局」の次は「学校」だ!っていう視線をひしひし感じます。総理に直々に指名された感じだし。いずれにしてもホントに親や地域の態度が大きくなりました、最近急に。

 そんな世知辛い毎日。子供達には、世の中をみつめる「やさしい目」を持ってもらえるようにしたいなぁと思っています。それこそ「いじめのない学級経営」の基本だと思うから。Nobody is perfect.ぼくだって、きみだって。