1月のSETC&ASTEKご報告

 前半、少し遅れて行ったためにO田先生のお話は少ししか伺えませんでした。これまでのたくさんの経験の中から、会話テストの方法やHow manyを使ったアクティビティなどをご紹介いただきました。緻密なデータ蓄積による評価の方法についても話題になりました。

 後半のO西先生からは(1)授業の組み立てと評価、(2)ITを活用した教材作りの新発想についてお話をしていただきました。5年次研修でも教わりましたが、4領域と4観点をクロスさせて、自分のやっている活動に偏りがないかセルフチェックすることの大切さを改めて感じました。自分のやってることの可視化(見える化)って大事ですね。

関心意欲態度 表現 理解 言語文化
聞 く
話す
読む
書く

挙手はコミュニケーションへの意欲ではない

 評価に関してはやはり一番盛り上がりました。「忘れ物や宿題、挙手などを『意欲』に入れない」という話は最近ずいぶん言われるようになりましたが、実行するにはやっぱり勇気が要ります。だからそこに踏み切れない人も多いと思います。

 そこでO西先生が言われるように「第5の観点」として、授業への取り組み度合いを評価する項目を設けることもできると思います。この項目はもちろん通知票の4観点とはまったく切り離して考えます。4観点はあくまで英語の能力として示す。しかし5段階評価には「第5の観点」も加味します。ということは、生徒・保護者、そして英語化の先生方やその他の先生方にも知っておいてもらう必要があると思います。「AAAAなのに4」ってことが、今まで以上に生まれる可能性があるからです。

 生徒を授業に取り込む手段として「評価」を持ち込むことに意義も弊害もあると思います。でもO西先生が言われたように、もしこの「意欲」が授業に対するものだとしたら、教師の資質や能力をより問われてしまうようになるでしょう。つまり「先生が違ったら意欲をもっと持てたのに…」なんて言われてしまいかねません。また生徒は不安定な時期にあり、常にベストコンディションで授業に臨んでいるわけでもありません。授業中のすべてが評価されるようになったら、息苦しくてしょうがないのではないか、とも思うのです。

教育は英語のある一面にすぎない

野洲スタイル

野洲スタイル

 先日読んだ「野洲スタイル」の中で、「教育はサッカーのある一面にすぎない」という言葉を読み、いろいろ考えてしまっています。そう、「教育は英語のある一面にすぎない」とも言えるのではないか、と。つまり日本の学校は「生徒指導」や「人間教育」といった目に見えない大きなものに縛られすぎているのではないか。英語の時間にはまずは「言語を習得する」ということ目指していけばいいのではないか、と思うようになってきたのです。もちろん、その過程で人間関係の大切さや、異文化理解の必要性などを学ぶこともあるでしょう。英語に「コミュニケーション」「ビジネス」「娯楽」など様々な機能がある中で、「教育」という要素もある、くらいに割り切った方が、生徒も本当の意味で学びに没頭できるのではないかなぁと思うわけです。

 うーん、今日はいろいろなことを考えてしまったので、いろいろ書いてしまいました。みなさんは、どう思います?

 あ、来月のSETC&ASTEKは2月17日(土)の予定です。私が発表する予定ですので、みなさんぜひお越し下さい。