生徒のがんばりを「お金」で評価する

 ありとあらゆるモノを使って、生徒をこっち向かせようと奮闘していた初任者時代。小道具もいろいろ使ってましたが、評価に関してもいろいろやってました。当時は「ご褒美」として、発表した生徒にステッカーを配ってる先生が多かったように思いますが、ぼくはなんとお金を配ってました(笑)

 それは「ズミ―」というオリジナル通貨です。肖像画のところには、おなじみのぼくのアイコンが印刷されているものです。

 ちょっと手元に画像が残ってないんですけど、確かどっかの国の旧紙幣をモデルにして「100万ズミー札」を作りました。授業中に発表した生徒、ゲームに勝った生徒、提出物を出した生徒などに渡してました。

 ただお金を配るだけじゃなんなんで、一応ちょっとだけ工夫していたことがあります。配るお札はすべて同じ「100万ズミー札」ではあるんですが、実は色が4種類あるんです。で、その色ごとに意味があるつくりになっているんです。

 リスニング活動で活躍した生徒には黄色(理解の能力)、日本語で発言した生徒には白(関心・意欲・態度)だけど英語で発言した生徒には青(表現の能力)、鋭い質問をした生徒には緑のズミー札がそれぞれ渡されます。そう、「観点別評価」の枠組みですね。色別の意味は特に説明しなかったんですけど、生徒もなんとなく勘づいてくる。緑のズミーがレア度が高いから、英語でがんばって発言する生徒も増えるなど、こちらのねらい通りの成果も表れるようになりました。

 別に成績にダイレクトに反映したわけではありませんが、学期末には自分のズミ―札を色別にまとめさせ、観点別に自己評価させるのに使用しました。自分の得意不得意を、あくまで参考にですけど可視化できるかな、と。

 なお、この通貨は、授業中に「使用」することも可能でした。というか、プリントを無くしたりすると、2枚目からは1枚100万ズミーで「販売」していました。みんな「自腹」を切ってプリントを「購入」し、悔しいので授業中に発言してちゃんと取り返してましたね。

 あ、どうでもいいんですが、このお札が100万ズミ―なのには深い理由がありまして、1年間で100枚集めるのを目標にしてました。100万ズミーが100枚集まると…はい、そうですね(笑)ダジャレですみません。

 さて、このズミ―通貨制度は、好評ではあったのですが、二学期の途中で廃止になりました。理由は「通貨偽造」という「事件」が起きたからです(笑)

 ある日、某教室の片隅に落ちていたズミー札を拾ってきた生徒が見せてくれたのは、なんと偽造されたズミー札でした。でもこのズミ―札、なんか変。よく見ると、金額のところが100万ではなく0になっている、「0ズミー札」だったのです! スキャンしたズミー札をフォトショップかなんかで綺麗に処理したようです。中学1年生でそこまでやるか!(笑)

 ということで、あくまで笑える事件ではあったのですが、中1とはいえそろそろ飽きる頃だろうと思っていたこともあって、これを機会に打ち切りました。活発に活動することや挙手や発言はある程度習慣化できたので、ズミーを配らなくなっても継続するだろうと期待してのことです。実際、その後の生徒の活動に影響はなかったかと思います。

 でも、せっかく貯まったズミー札。最後にオークションをやりました。それこそ、ぼくの持っていたステッカーなんかを放出した気がします。みんなでわーっと使っておしまい。

 今はさすがにお金に頼らずとも生徒をこっち向かせることができるかなぁと思いますけど、あの頃は必死だったんだなぁと懐かしく思い出しました。でも、あまりムキにならず、こっちも楽しめる仕組みであれば、習慣化に役立つこともあるんじゃないかと思います。システムの維持に必死になっちゃうと本末転倒だし、ポイントなどがリアルに成績に反映されるようなものだと、もっと管理にも気を配らなくてはいけないし、こういうのは匙加減が難しいですね。なにより、生徒との信頼関係が築けてないと、成立しないものかも知れません。(こういうものの取り扱いで、むしろ信頼関係が壊れてしまうことすらあるから、怖いところです)

 生徒にステッカーを配るなんて、どこまで生徒を甘やかしてんだ!と靜先生に怒られちゃいそうですけど、昨年も書きましたが、実は靜先生も生徒にステッカー配ったりしてるんですよ。

 発音ダメ出しステッカーですけど(笑)

 あれをもらって衝撃を受けたのも、もう2年近く前の話。あれから少しでも自分は成長できたのかなぁ、とステッカーを見ては思い返す今日この頃です。