新学習指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」ってどうやって評価するの?(中学校外国語科編)

 画像4枚にまとめ用シリーズの第2弾は、新しい3つの観点のうち個人的に一番納得行かない気になる「主体的に学習に取り組む態度」をピックアップ。

 

 ちなみに前回の第1弾の4枚まとめはこちら。

anfieldroad.hatenablog.com

 

 で、今日は「主体的に学習に取り組む態度」のお話。

 

 元々の学習指導要領では「学びに向かう力、人間性等」という文言だったので、世間の「人間性なんて評価するのかよ」というツッコミに対応して、そこは評価の枠組みから除外。個人内で評価して、個別に伝える、という形になりました。

 

 そして残った部分が「主体的に学習に取り組む態度」として評価観点の1つになりました。現行では「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」と呼んでいたものを引き継いでいる感じです。

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 元々現行の「コミュニケーションへの関心・意欲・態度」の評価の実情も実にカオスで、挙手に回数を数えてみたり、自己評価カードの文字数を数値化してみたり、ワークの提出率を出してみたり、何か目に見える形でカウントして、最終的にABCで評価する涙ぐましい努力がありました。

 

 そんな中、研修会とかでは「ワーク提出とか成績に入れるんじゃないよー」みたいなご指導は当時からありましたし、埼玉県なんかは悉皆研修に5年間毎年松浦先生をお呼びして「活動をやってるか、やってないかを監察して(やってなかったときだけ記録しておいて)10回観察したうち8回やってたらAでいいんじゃないの?」みたいなご指導を受けているはずです。

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 ワークを出す出さないみたいなのは英語力じゃなくて生徒の生活能力だし、場合によっては出せない背景には家庭環境とかいろんな要素もあるし、それをしっかり育てる場面は学校の中で英語の授業外にもいっぱいあるし(むしろ多すぎる気もしてそういう子たちは辛いだろうし)、ということで、そういうのが改めて否定されることはよいと思います。

 

 でもじゃあどうやって評価するんだよ、という嘆きの声が聞こえてきそうですが、あとでも書いてますがそもそも無理筋なので、あまり欲張らないこと(それが成績全体を大きく左右させないこと)が大事かな、とも思います。

 

 評価資料では「粘り強い取り組み」「自己調整」という2つの枠組みが提示されています。「粘り強い取り組み」には「知識・技能の獲得や思考力・判断力・表現力を身につけるための」という枕が付きます。前回の記事でも書いたように、「知識・技能」も「思考・判断・表現」もなかなか高次なスキルを想定しているので、「パターンプラクティスに一生懸命取り組んでた」とか「単語練習頑張った」みたいな日常の生徒の頑張りをすくい取るものではないように感じます。

 

 評価資料で語られている理念とは相反するとは思いますが、私はこういう下位技能を身につけるための努力や成果も、しっかり評価するべきだと思っているので、私が実際に評価をするとなったら「知識・技能」と「思考・判断・表現」の評価の枠組みに、そういう努力を勘案できるスペースを作ろうとすると思います。その上で、「主体的に学習に取り組む態度」の評価に関しては、評価資料で提案されているようなやり方を試してみるかも知れません。

 

 でも、具体的な評価事例を見ると、さらに混乱は深まります。

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 まず「魔法の公式」と私が勝手に名付けた評価規準の文例が、同じ評価資料で紹介されている評価基準表に全然反映されてない。上の公式がどうやったら、下の事例のようになるのか、何度読んでも謎です。

 

 ここでいう「3つの条件」というのが、「相手の意見も聞き出す」みたいなものを含んで入るので、それをもって「聞き手に配慮」とするのかも知れませんが、結局「主体的」って具体的にどういうことなの?というところは授業者に一任!というのが悩ましいところ。特にa評価レベルの「配慮」って、もはやカオスで、マナー講座みたいなどうでもいい努力を生徒に求めるような評価やテストが横行しないか心配です。

 

 あとは「ひとりごと」にも書いてますが、資料を読む限り、実質的には「思考・判断・表現」と「主体的に学習に取り組む態度」の評価は一致する、と書いてあるように読めるので、じゃあ別に2つの観点にしなくていいのに、と思うのです。それだったら、代わりにもっと地道な努力とか成果を評価してあげる枠組みをちゃんと残してくれればよかったのに、と思います。

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 そして「主体的に学習に取り組む態度」の評価は長期的に、学期や年間を通して評価、ということなので、さらに「印象評価」に頼らざるを得ない枠組みになりそうです。

 

 じゃあちゃんと根拠を示して評価しようとすると、今度は教師の首を絞めることになります。これは「思考・判断・表現」の評価事例(p.58)とかを見てても感じることですが、そもそも、ペアワークで活動しているときに観察してて、その会話の誰のセリフのどの部分が「思考・判断・表現」的な要素を満たしているかを判別できるんですかね。録音してたとしても、何度も聞かないとわからないし、下のやり取り例を書き起こしたものを見ても何度も読み返してやっとですよ。

 

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 だって、そういう「あらわれ」の仕方は生徒によって様々だし、そういうのって行きつ戻りつ身に付いていくものだから、学習成果の評価とは馴染まないように思うんですよね。

 

 文句は言ってても実際にこの枠組で評価をつける先生方の手助けにはならないので、もう少し具体的な手法については、今後私も考えて提案したいなとは思いますが、いずれにしてもこの観点があまり成績を左右する大きなポイントにならないようにすることが大事だと思います。

 

 それはつまり多くの生徒にAがつくように指導・評価する、ということです。それは別にズルをする(基準を下げる)ということではなく、しっかり指導したものが「あらわれ」ているかだけを評価してあげればいいと思います。生徒にも「こういうセリフ、態度が『主体性』の『あらわれ』なんだよ」ということを伝えて、共通理解をしておく必要があります。

 

 何度か書いていますが、やっぱりこういう態度って結局はスキルなんですよね。ソーシャル・スキルトレーニングさながらに、全員に身につけさせた上で、他の2つの観点の評価をしてあげたいなと思います。