高校指導要領改定案

 高等学校学習指導要領改訂案が発表されましたね。少し前から漏れ聞こえてきた改定案に、ちょっと不安を抱いてはいました。というのも、今回の改定案をメディアがどう伝えるんだろうというのが、なんとなく予想できたからです。

 「原則として英語で教える」という言葉が一人歩きするだろうなぁと思っていたら、まぁ当然のようにそういう報道が多いですね。そしてどちらかというと懐疑的な論調。

・高校で「使える英語」「自信ない」教諭も 理解度に差、疑問の声(毎日新聞
・英語で授業、期待と不安 能力アップ 教師も負担(産経新聞

 でもぼくが気になるのは、メディアはこういう時だけ「現場の声」に反対意見を言わせるのがズルいなぁと思うのです。「   」つきの見出しで、教員側に自らの力量不足を自白させるという手法。これなら、いつ矛先を「がんばろうとしない教師」に向けてもいいんですから、気が楽でしょう。まぁ各社、一応社説等でも扱っているようだけど、もっとメディアの意見として責任を持って伝えて欲しいとも思います。

 ところで、どうして改定案が発表されるよりも前に、「こういう風になって欲しい」という現場の声を、紙面を通して届けようとしないんでしょうか? 新聞・メディアは民意を表す場ではないんでしょうかね。裁判員制度なんか見てても、国が決めたら「こんな不安があります」「辞退するにはこんな抜け道が」と報道するのも、なんか足を引っ張っているなぁとも思います。(裁判員制度については、私も不安だし疑問だらけではありますが、そこはまぁ置いておいて) 施行前にみんなのやる気を削ぐことが狙いなのでしょうか。

 この改訂で高校の授業スタイルが変わるのでしょうか。私は高校現場での取り組みにあまり詳しくありませんが、先頃書いた私立高校の現状なんかも鑑みると、大学入試に重きを置いている進学校にとっては「足かせ」でしかないような気がします。単純に入試の英語力を上げるのであれば、日本語でやった方が効率がいいと考えている教師は多いと思います。一方で、大学入試の呪縛から解き放たれている学校では、逆に英語での授業に困難を抱えることも予想されます。一応「生徒の理解に応じた英語を用いる」という但し書きもあるのが救いでしょうか。この文言を入れる上での妥協点なのかもしれませんが。

 そもそも、高校生が(英語に限らず)学ぶ目的が、もはや大学入試しかなくなってしまっていることに不安を感じます。そんな中、知ること、できるようになることに喜びを見出せるような授業をされている先生方もたくさんいるのに、そういう先生のことは「サンデー毎日も」「週刊朝日」も「プレジデントファミリー」も特集してくれない。

 一方で、ケータイやゲームのように学生をカモとしながら(彼らの学ぶ時間や意欲を奪い)経済活動を営む産業界・経済界の人たちが「○○会議」に名を連ねて、子どもたちにもっと勉強させろと語るのは、本当に頭に来ます。学校内持ち込み禁止とかいうなら、学生に売らなければいいのに。

 改定案そのものは、まだざっとしか目を通してないので、語彙数や教科の再編等についての詳しいコメントはできませんが、この指導要領の拘束力も含めて、今後も議論される必要があるでしょう。tmrowingさんも書いているように、パブリックコメントにて意見を表明することが大切ですね。そして文科省はどんな意見が集まったのかを、ちゃんと示して欲しいです。「コミュニケーション英語」を謳いながら、国民とコミュニケーションがとれてないんじゃ、意味ないですからね。