書店で、学参や受験用問題集を眺めてて思ったこと。
あ、別に網羅的にいろんな学参を検討した上で言ってるわけではないので、ちゃんとした傾向とかはわかりませんし、特定の教材を薦めたり貶したりしているわけではないので、そのへんは予めご了承ください。あくまで印象です。
昔(といっても、自分が学生だった頃)に比べて「トレーニング」を謳う問題集や単語集が増えた気がします。著名な先生が(これも、予備校の先生と言うより、進学校の先生監修のものが増えた印象もあります)トレーニング方法を提示し、その順番に、言われた回数をこなしていくと力がつくよ!というタイプの問題集です。
例えば、今井先生監修のこの本なんかは、同じ英文に、手を変え品を変え何度も触れさせて、理解を深められるようにできてます。面白いなぁ。まさに今井先生の授業のワークシートみたい。

英語を自動化するトレーニング 基礎編 (英語の超人になる!アルク学参シリーズ)
- 作者: 今井康人
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もうひとつ、こちらのキムタツ氏の新作文法学習本にも似た印象を持ちました。文法学習本ですがCDがついてて、ディクテさせたり、read & Look upさせたり、「授業中のトレーニング」を自宅でも可能にした感じの教材になっています。

ユメブン1 高校修了?大学入試レベル (アルク学参シリーズ)
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一方で、きっとこれらの先生方はこういう授業をされているんだろうなぁ、とも思うわけで、そうなると教師の役割って何なんだろう、と考えてしまうのです。だって、これって「自宅でひとりでも成立しちゃう学び」なんですよね。
これは、先日「和訳先渡し」関係の実践授業ビデオを見た時にも感じたことです。学習のプロセスとしては素晴らしいと思うのですが、その授業での教師の役割は、単なる「司会進行」ばかりだったように感じたのです。
そうなると、センセの受け売りになっちゃいますけど、教師がそういった授業中にできることとして考えられるのは「指導的(否定的)フィードバック」と「モデルの提示」になるんでしょうね。部活の練習中にコーチが、ペア同士のパス練習を止めて、「そうじゃない、こうやるんだ!」と指導するイメージです。でも、その授業ビデオではあまりそういうシーンはありませんでした。
さて、ここでさらに思うのは、これらの学参のターゲットとなっているレベルの高校生のように「やり方」と「素材」を与えれば自力で練習できるようになっていない学習者をどう指導するのか、ということです。
つまり、それ以前の入門期の中学生段階での指導と、そういうレベルには達していない高校生への指導、をどうするか、ということです。ここでこそ、我々教師の役割と責任が大きくなりそうですね。
とはいえ、特に高校での指導事例では、なかなか進学校以外での「実践」や「実績」は伝わって来ません。学参や問題集の多くは、自力で学習することを前提にしていますから、そういう形でもあまり日の目を見ません。(「やり直し英語」系の本ですら、「それなり」のレディネスを要求してますもんね) 倫太郎さんのように、地道な実践を積み上げている方も、いるはずなんですけどね。
一方でぼくの場合は公立中学校教師ですので、そのレディネスを作ることに対して、責任を強く感じるわけです。意欲や必要があれば、自力で学習していくことができる最低限の力、をつけてあげなくちゃいけないですね。
その昔某所で「ネット素材等で英語は勉強できるから学校英語教師なんか不要」と喧伝してた人だって、それができるようになるための地力は、きっと学校の授業で「教わる」ことで身につけたんでしょうから。そこまで身についてれば、確かにあとは「英語を生きる(笑)」もよし、効率の良し悪しに差はあれど、努力と根性学習量次第で、力を高めていくことができるでしょう。
いろんな習熟度の学習者が机を並べる中学校での授業は本当に大変です。「教える」ことも「トレーニングさせる」ことも必要になります。教師の役割も様々です。でも、それだけに、教師としての存在意義を実感することができる幸せな職場と言えるかも知れませんね。