再チャレンジを支援する

 安倍内閣の政策話ではなくて、引き続き靜流のお話。

 どうも先生の厳しさに目がいってしまって、構えてしまうところがあるのですが、少し時間をおいて考えてみると、いろんなことが見えてきました。彼の「厳しさ」の影に「やさしい」配慮もあるなぁと思うのです。それは生徒にチャンスが何度もあること。繰り返し努力させるためには、厳しくダメ出しをされても、今度こそ!と思える「次」が用意されていないと意味がない。

 どうも特に音声面の(まぁ、筆記面でもある意味では同じだけど)アウトプットのテストって、大規模に一度きりというのが多いような気がします。少なくとも自分の実践を振り返るとそうです。学期の終わりに慌ててパフォーマンステストをやったりしてますね。これじゃ、「次」のチャンスは数ヶ月後。もう、あの時の悔しかった気持ちや、具体的な改善点は忘れちゃいますよね。靜実践のように(「グルグルメソッド」他)、1秒で終わるようなテストを、何度もやってあげる。それは、厳しさの中にある「やさしさ」だなぁと感じました。

 そう考えると、「グルグルメソッド」的な評価の「チャンス」を、授業の最初などに帯で織り込んでいくこともアリじゃないかなぁと思います。そうすれば、授業が始まる前に「テスト」に備えて練習するようにもし向けられるし。ちなみに今は「チャイムまでに座らないと、先生に座席奪われて替わりに授業やんなくちゃならなくなる作戦」によって、授業前に着席して、授業の準備をさせることがなんとか定着してきたところ。次のステップを目指したいところですし。

 前回のエントリで書いたように、いろいろ悩んでいるところではあるんですが、靜先生があえて「靜流家元」を名乗るのは、すごく謙虚だと思いました。それがいろいろある流派のひとつにすぎないと言っているわけですから。彼にとってのベストが、すべての人にとってのベストとは限らないわけです。でも、「いろいろスタイルはあっていいけど、俺はこのやり方に自信がある」という気持ちがみなぎってて、「やり方はともあれ、これ以上に生徒を伸ばすメソッドがあるかい?」と投げかけられているような気がします。

 いつも通り、「いいとこどり」でエッセンスを吸収しつつ、自分のスタイルを作り上げて行かなくては。