2.0の先にあるもの

 最近考えること。

 「英語教育2.0」をブログタイトルに据え、私なりに新しいタイプの英語授業を模索してきました。「なんで、2.0なんですか?」とよく聞かれます。「プロフィール」にも少し書きましたけど、「Web2.0」という概念に重ねて、英語教育を1.0から2.0にバージョンアップする、という熱い思いが込められています。

 1.0な英語授業というのは、基本的な「一斉授業」のスタイル。「1人の教師 対 多数の生徒」というイメージ。情報をシンプルに効率よく伝達するためのモデルです。ちょうど、インターネット黎明期に企業や有名人だけが「発信者」になれた頃のネット社会が重なります。

 Web2.0な時代になり、googleamazonが幅をきかすようになって、「無名の個人」が積み上げた衆知こそが、商品になるようになりました。そこに新しい英語授業のイメージを重ねたのです。生徒同士が英語を通してコミュニケーションをする。生徒の視点から見れば、「1人の生徒 対 不特定多数の生徒」というイメージです。生徒が、授業の中で表現したものを、別の生徒が読んだり聞いたりする過程を大切にしています。お互いの表現を教材にしてしまうというわけです。不特定であることで、心的バリアをひとつ取り除いてあげて、表現や理解に集中させることにも配慮しています。COSMOSやポケモンといった活動はこの理念に基づいて生み出したものです。

 さて、この先にはどんな活動が待っているのでしょうか。

 それが「3.0な授業」なのかどうかは別として、ぼくとしては「1人の生徒 対 1人の生徒」なんだろうなぁと考えています。イメージとしては「手紙」や「電話」というコミュニケーションスタイル。ぼくはどうもこの「2.0」をゴールのように考えてきた節があって、本来「不特定多数」はあくまで練習であって、それをリアルな使用場面で「特定」の誰かに対して使えるようにしてあげなくてはいけない。「ごっこ遊び」ではない、リアルなコミュニケーション場面を設定してあげないといけない。そう考えるようになりました。そして、最終的には「1人の生徒 対 特定多数」に向かっていくのでしょう。それは「スピーチ」のようなイメージ。自分の言いたいことを、伝えたい多くの人たちに訴えるわけです。

 さて、このブログを書いていても、同じようなことを感じています。私が加入している求道塾のML(メーリングリスト)では、多くの方が日々の実践をまめに投稿されていますが、私はあまり投稿ができていません。ブログで書いているようなことをコピーして適当に送っておけば、それなりに投稿できるはずなんですが、それはまた何かが違うのです。MLでは、もう少し読み手を意識した書き方が求められます。顔が見えるコミュニティだからかもしれません。ブログは、やっぱり違うのです。読んでくださっている方々には申し訳ないのですが、あまり読み手を意識して書いていません。(実際、頭に浮かんだことをものすごい速度で打ち込んでいます。) だからこそ、自分の書いたものを読み返して、自分のあまり意識していなかったことにも気づくんですけどね。そもそも、違うプロセスなんでしょうね。

 Twitterなんかに便利さを感じるようになって、特定の誰かに心を込めてメッセージを書くことが減ってしまっていることに、ちょっと不安になったりもしました。同じことを訴えるためでも、相手が違えば書き方(話し方)が変わるはずです。こういうチャンネルの切り替えだって、言語教育が担う役割(あるいはスキル)の一つだと思うのです。

 さて、これらの「手紙」や「電話」、「スピーチ」といった使用場面は、これまでの英語教育活動でも当たり前のように取り組んできたことです。でも、この2.0な活動を経由したあとでは、さらに深い意味を持っているような気がします。「特定」であることの意義があるのです。メッセージ性とも言えます。

 まずは形(スキル)を身につけ(1.0)、メッセージを授受する楽しさを覚え(2.0)、本当のコミュニケーションを経験する(3.0?)。たくさんの経験とスキルを得た生徒たちが、本当に伝えたいことを、本当に伝えたい相手に向かって表現できるような場面を、授業の中に設定していく。というか、それを教育サイクルのゴールにしていくようにしていきたいです。

 まとまらないんですけど、あくまで自分のために書いてますんで、ご容赦ください。それでも、自分のノートに書き殴るのではなく、ブログに書く意味は、まさに「2.0」的であって、みなさんからのフィードバックによって、さらに高めて(深めて)いきたいと考えています。ムシが良すぎるかな?