ネガティブなことを書くのはあまり好きではないのですが、あまりにひどい見出しがぼくのまわりのオフライン世界でも結構話題になってるので、ちょっとだけ某誌の中学校英語批判、についての批判。
先生任せでは、受験でつまずきます!
「英語授業」激変!
わが子が危ない
中学生の8割は文法を理解できない
会話重視か、受験重視か。職員室は混乱中
表紙に踊る刺激的な見出しはなかなか挑発的です。まさかお金を出して買ったりはしないのですが、iPadのビューンで特集くらいは読めるので中身も目を通してみました。
中学校英語の主な問題点として上がっているは、
- 中1で過去分詞を教えないのは非効率
- 発音記号は教えていないのか?→発音できない
- ネイティブはたまにしか来ない
- ビンゴゲームなんかつまらない
- 10年前より苦手・嫌いな生徒が増えた
- コミュニケーション活動では英語力はつかない
というあたり。ありとあらゆる不満のオンパレードです。
でもね、「会話重視か、受験重視か。職員室は混乱中」と学校現場を批判している割には、批判そのものも「会話重視か、受験重視か」あいまいなんです。じゃ、この雑誌としてはどっちがいいと思ってるの?
学校では発音指導をしていないという批判をしながら、「ビジネス界からの要望」として、「多少発音が悪くても、きちんと言いたいことを伝えられるか」とか「TOEICスコア」とか言う。田尻先生のことばを引いて「文法が大切」と言いながら、「会話文を題材に昔ながらの訳読をする先生」のことを批判してる。この雑誌は結局公立中学校の英語授業のあるべき姿を、何も語っていないのです。
ひと通り教師批判をしたら、教師擁護に移るのも常套手段です。教師だって、親として購買者になり得ますからね、フォローもしておかないと。ということで、忙しくて授業準備できない教師の劣悪な労働環境に同情し、(購買層が)誰も傷つかないように最終的には文科省批判で綺麗にまとめるわけです。
でもさ、だったらその見出しはないんじゃないの?
この特集で唯一そうだなぁと思うのは、後半の評価の問題。「授業ではgreat!でも試験ではバツにされてしまう」というあたりには、コミュニケーション活動なるものを授業でやりつつ、パフォーマンスではほとんど評価せず、ペーパーテストだけで力を測ろうとしている学校の課題が浮き彫りになります。これはホントそうだと思います。
関連して、「授業は聞く・話す」「受験は読む・書く」というズレについても書かれているものの、ここでズルいのは中学校の授業がが「入試に対応できない」という批判ばかりで、「入試の方が対応していない」という私立高校側・受験産業側への批判が一切書かれていないこと。まぁ、スポンサーになる人達を悪くは書けないんだろうねとは思うけど、あの本を買う人たちのどれくらいが、そういう風にメタにこの雑誌の立ち位置を理解して記事を読んでいるかということですよね。
この雑誌は、親を不安にさせて教育(産業)にお金を落とさせることをねらいとしているのでしょう。だから、特集の最後は「親も意識を高く、子供を支援しよう」的なまとめになっています。とってもわかりやすい。
この雑誌を好んで読む親が気にしているのは「わが子」の成績だけ。親だったらまずそれが当たり前なんだろうから、そこを責めるつもりはないけど、そう考えると少なくともこの雑誌は「教育雑誌」ではない。だったらあまり教育界全体を批判したりしないで、「わが子だけ得する成績の上げ方」とかを堂々と特集するべきでしょう。
でもそもそもこの雑誌をマニュアルのように崇めて盲目に真似しているようじゃ、この雑誌に載っているような(彼らの考える)「勝ち組親子」にはなれないでしょう。少なくともこの雑誌に登場する「勝ち組親子」はこんな雑誌読んでないでしょうに、なんて意地悪に思ってしまいます。でもこういうのって自己啓発本フォロワーにも言えることです。メタに読める力がないと、意味ないですよね。
ふう。
ぼくがいつもこの手の記事や言説に噛み付いてしまうのは、こういった学校批判が、日本の学校教育全体のためではなくて、限りなく個人的であったり、(限りなく大きな額の)お金の臭いがしてしまったりする時なんです。誰かの宣伝のために批判されるのは納得がいかないんです。
なかなか難しいとは思いますが、こういったメディアに言われるままにしておかないで、現場としてもがんばっていることをもっと発信していくこと、そして文科省もそういうがんばりをきちんと伝えていくことが大切だと思います。
文科省の「コミュニケーション能力」も、試されている時代なんだと思います。