英作文を書かせる必然性なんか要らない!

 鼻水が止まりません。

 花粉症でも風邪でもイヤだなぁ。ティッシュ箱を持って歩く一日。でも不思議なことに箱を抱えていると、少しは鼻水がおさまるんだよなぁ。手元にないときに限ってrunningなのです。なんでだろう?

 さて2年生は期末テストに向けて、英作文の練習問題。「まとまりのある文章」を意識させるには、やっぱりお題の工夫が大切ですね。つい練習中の文法事項を意識して、「比較級を使いなさい」なんて文法で追い込んだタスクを設定しがちですけど、それも下世話だからなぁといろいろ思案。でもあんまりいいのが浮かばない。

 そうこうしているうちに、「スキルがどれくらい身についたかをチェックする定期試験だったら、それくらいわかりやすくたっていいんだろうなぁ」なんて思うようになっちゃった。

 先日行われた埼玉県の公立高校入試(前期)の英作文だって、こんなんだったし。
 

 
 この問題についても、先日のサークルでちょっとだけ話題になったけど、賛否分かれてましたね。私は以前の「イラスト付き&場面設定アリ」が好みだったので、そっちを支持してたんだけど、「今回の方がいい」という方もいらっしゃいました。で、家に帰ってから改めてじっくり考えていると、不思議なことにぼくの考えもまったく反対に向かってきて、今ではいっそのこともっとシンプルに「○○について英語で書きなさい」くらいストレートでもいい気がしてきました。(結局、今回の問題自体はあまり好きにはなれないんだけどね)

 これまでも諸々の作問時には「日本の中学生が英語を使って表現する自然な場面」を苦労して考えたりしてきたんですけど、特にこれがライティングの課題である場合、別にそんなシチュエーションは必要ないのでは、と思うようになったのです。あくまで知識とスキルを診るんだから、「英語で書かなければならない必然性」はそこにあるわけで。だって、理科の実験からわかることを答えるのに、必然的な設定は別に必要ないじゃないですか。授業でのアクティビティならともかく(最近はそれだって別に構わない気もしてきたけど)、もっとストレートな問題にすれば、いろいろ試せる気もしてきました。

 しかしこの180度転換は自分でも不思議ですね。

 これも先日のサークルで話題になった「なんで英語を勉強するのか」という話とリンクしそうなんだけど、「このやりとりを英語でやる必然性はなんなの?」という問いに対して、「英語の練習だから」って説明じゃダメなの?という気持ちが本当のところです。「英語ができるようになりたい」という動機付けさえちゃんと作れていれば、そこは問題ないと思うのです。

 9年前に前任校で「言語の使用場面」を意識したスキットを作ったときも、「生徒が日頃日本語を使って問題解決したりする場面」を前提に作ったことを思い出しました。今考えれば、そこと同じような気がします。

 ということで、今回の期末テストの作問に、今の自分の心境がどう反映されるか(自分でも)楽しみです。まだうまく消化(昇華?)しきれなさそうだけど。

 うーん、いろいろ考えながら書いてますので(書きながら考えてますので)、話があちこち行くのはお許し下さい。でもこうやって書きながら考えるような記事も久しぶり。楽しいなぁ。体調はまだまだダメですけど、気持ちはずいぶん復調してきたかな。

 さて、現実逃避もこのくらいにして、残された業務に戻ることにします。

#本日のBGM:A Love Supreme(John Coltrane)←長い(書いているうちに終わらなかった)