すべての教師は「臨時的任用」を2校以上経験すべきだ

 先日、10年次研修が終わりました。

 この春、最初に担任した学年の子たちが大学を卒業し、社会に出ます。もちろん中には教員になる子もいて、もしかしたら4月から「同僚」になる可能性だってある。ちょっと不思議な気分ですが、すごくうれしくもります。

 ということで、私も初心に返る意味で、自分の教員としてのスタートを振り返ってみます。今回は臨時的任用(臨任)時代。

 大学を卒業してからの2年間は、臨時的任用で働いていました。

 教育事務所や市町村の教育委員会に書類は出していたものの、勤務先が見つからないまま4月を迎え、「今年はバイトかなぁ」と思ってた矢先に突然ある市から声をかけられ働き始めた中学校では、戸惑いの連続でした。

 とりあえず呼ばれて行った職員室で、「じゃ、明後日から授業よろしくね」と教科書を渡されました。えー、そんな、中学校で授業やったことないんですけど!(実習は高校だったんです) 冷や汗の自転車操業生活は、初日から始まりました。

 塾講師の経験が長かったので、とりあえず「説明する」「字を書く」「話をする」のはなんとかなるんですが(もともとおしゃべりな性格ですから)、「生徒を動かす」なんてやったことない。これが難しい。クラスの雰囲気によって、音読の声も大きく違うし、自分の「指導力」のなさを痛感させられました。思い通り生徒が動かなくて、生徒とぶつかったりもしました。たぶん、担任の先生方にはずいぶんご苦労をかけてしまったように思います。

 それでも同じ学年を担当する英語科の先生から、授業用プリントをいただいたりしながら、いわゆる「中学校の英語授業」の基本フレームワークを少しずつ学んでいきました。その先生も、生徒が発話する機会を増やすアクティビティに数多く取り組んでいらっしゃいました。

 多くは2種類のワークシートを配布してペアの間にインフォメーションギャップを作り、インタビュー活動をさせ、結果を英語で書かせるというスタイル。でも指示や指導が徹底できてないから、生徒はプリントを見せ合っちゃったり、日本語でやりとりしちゃったり。ホント、悪戦苦闘の日々でした。

 そんな中で一番刺激的だったのは、ALTとの関わりでした。

 最初の学校では、6人も英語科教員がいたにも関わらず、ALTの隣の席を与えていただけました。(押しつけられた、とも言う) でもこれが、本当に勉強になった。

 授業でALTに何かやってもらうためには、とりあえず打合せをしなくちゃいけない。もちろん英語で。いやぁ、これでずいぶん自分の会話能力が鍛えられたと思います。(w

 当時のぼくは、文法用語の英語訳さえ知らなかったので、必死に勉強して、なんとか英語で打合せを繰り返しました。そのうちに、趣味の音楽の話や、反対にALT自身の日本での生活上のトラブル相談など、幅広い話ができるようになりました。幸い、素敵なALTにばかり巡り会えたので、彼ら彼女らは、ぼくのよきコーチとなって、英語を教えてくれました。正直、臨任の二年間は、「教える」というより自分自身が「学んだ」時間でした。

 さて、英語の歌を取り入れ始めたのは、2校目(2年目)の頃でした。

 前任の先生が毎回英語の歌をやってくれた、と聞いて、それじゃやってみようかと取り組んだのがきっかけ。でもそこは天の邪鬼なぼくですから、The BeatlesCarpentersなどのいわゆる「王道」には素直に行かず、Ocean Colour SceneとかSixpence None The Richerとか、ややマニアックだったり、当時のヒット曲だったりを取り上げたのを覚えています。

 正直、「歌わせる」まではたどり着けず、「楽しく聞く」「意味を考える」「口ずさむ」程度の指導だったように思います。それでも、「英語の歌が一番楽しい」という声を聞いて、続けていくことができました。

 誰でもそうだとは思いますが、今から振り返ると「なんて授業をしていたんだろう」と恥ずかしい気持ちになります。当時のビデオとか残ってて見せられた日には、顔から火が出てきそう。というか、映像を抹消するでしょうね。(w

 それでも、あの臨任時代は、自分にとってかけがえのない時間だったと思います。

 特に生徒との距離感。

 どうも生徒は臨任の先生をなんとなく見抜き、「先生と生徒のあいだの存在」として接してくるようになります。他の先生の悪口愚痴を言ってきたりして、「おれも先生なんだけどなぁ」と思うこともしばしば。生徒の中では友達か先輩のようなもんなんでしょうね。だからなのか、当時の生徒とは今でも交流がありますが、どうも「先生」とは呼ばれないような気がします。

 本採用になって、担任をやるようになってからは、やっぱり生徒も以前ほどそういう風には近づいてこなくなりました。それはそれで寂しくも感じましたけど、あの頃のぼくが担っていた役割は、ちゃんとその時の(もっと若い)臨任の先生方が請け負ってくれていたわけです。

 ああ、こうやって学校は(学年は)廻っていくんだなぁ、と感じました。

 だからね、個人的には、すべての教師は「臨時的任用」を2校以上経験すべきだ、と思うんです。もし授業や人間関係がうまくいかないことがあっても1年ごとにリセットできちゃうんですよ。いろんな学校の雰囲気やシステムを経験できて、しかもちゃんとお金ももらえるなんて、他の職種ではなかなか存在しないシステムだと思うんです。中には大卒ストレートで試験に受かっちゃって、教員になったものの、「やっぱり向いてないかも」なんて悩んでしまう若い先生もいるでしょうからね。

 繰り返します。

 すべての教師は「臨時的任用」を2校以上経験すべきです。

 ほろ苦い思い出もたくさんありますが、今の自分を見えないところで支えている経験だと思います。これから教壇に立つ教え子たちにとっても、(本採用であれ臨任であれ)素敵な時間となることを祈っています。


(追記)

 今回の記事は、臨時的任用として現場でがんばりながらずっと試験を受け続けている多くの先生方には、大変失礼なタイトルでありました。それじゃあインターン制がいいのかな、とも考えましたが、そういう人たちが医療現場と同じように安い労働力として酷使されてしまうような未来も願いたくありません。

 今回の記事の主旨は、あくまで私自身の経験を(やや美化しながらも)振り返ってみることで初心に返ることと、今年度は本採用には至らず臨任をやることになった教え子への励ましという気持ちがメインです。お気に障る表現もあったかもしれませんが、どうかご容赦を。