[評価] 読解問題の「オーセンティシティー」って?

 あんなシンポジウムもありましたから、本当は夏前から気になっていた1冊を、冬休みになってやっと読み始めました。

コミュニカティブ・テスティングへの挑戦

コミュニカティブ・テスティングへの挑戦

 私も、ふだんからテスト問題を考えたりする機会が結構あって、そういう場でも諸先輩から「テストがもっとコミュニカティブでなければならない」と教わってきました。

 ここでいう「テストがコミュニカティブ」というのは、テスト問題で扱われるタスクが「実際のコミュニケーションの場面」を模しているとか、そこで測られている力が実際のコミュニケーション場面で役に立つとか、ということなんだと思います。

 要するに、文法理解のためだけの文法問題みたいなのは止めましょう、ということでもあります。その文法がわかっている(使える)ことで、どんなコミュニケーションが成立する(助けになる)のか、ということを意識してテストを作りましょう、ということで、私もその考えには賛成です。

 ただ、そんな流れから結果的に出来てくるテスト問題を見ながら、違和感も感じていました。

 例えば、埼玉県の県立高校入試問題を例にとると、読解問題に使われる英文は、「中学生が現在(あるいは近い将来に)遭遇しうる英語の使用場面」を意識しているように思います。だから、「留学生からのメール」とか「職場体験の様子をALTに伝える」「ホームステイで行ったアメリカでの体験」とか、そういうものばかりです。

 ん?オーセンティックな英語の使用場面って、そういうことなの?

 このへんは、先日のARCLE@上智大学前後に、tm先生とのやりとりでも話題になったことで、個人的にはずっと考えていたんですが、今回この本を読んでモヤモヤがすっきりしました。

 前述の入試問題なんかでは、「お話の中の登場人物が英語を使用する時のオーセンティシティー」を考えちゃってるんです。「中学生のカズオが英語を使用するのが自然な場面」ばかり考えてて、そのカズオの物語を読んでいるリアルな中学生が英語を読んだり、読んだ後にアクションするタスクのオーセンティシティーに無自覚過ぎると思うんです。

 「場面」という言葉の持つ意味がまったく違うんですね。テスト受験者がその英文を「読む」その瞬間だってまさに、言語使用「場面」なはずです。そして、その「場面」こそ、オーセンティックであるべきでしょう。例えば中学生が「読書する」という「場面」を想定するなら、読む英文は「物語」だっていいわけです。何も主人公が中学生である必要もない。そして読みながら(読んだあとに)する行為は、その英文の情報を参考に「商品を選ぶ」とか「そのあとの行為を選ぶ」みたいなことだったりするはずです。

 文章そのものの質もオーセンティシティーももちろん大切なんですけど、「コミュニカティブ」を謳うのであれば、読んだ後にどんな作業をさせているか、ということにもう少しこだわるべきだと思うし、英文の中の「場面」からはもう少し自由になるべきかな、と思います。