小道具マニアの初任者時代

 先日から続く回想シリーズ。

 今回は初任時代。

 最初に配属されたのは埼玉県で一番大きな中学校。生徒も先生も、エネルギーがすごい。ここでは本当にいろんな経験をさせていただきました。

 この学校での思い出は本当にいろいろありますが、特に教科指導にしぼっても、私が着任した年は関東甲信地区英語教育研究会(いわるゆ関ブロ)の授業研究会が本校他を会場におこなわれたので、ものすごく濃い1年間でした。

 関ブロそのものに関する思い出は別エントリに譲るとしても、初任者としてのぼくにとって、この関ブロ(に向けての取り組み)が与えた影響ははかり知れません。初任者研修もありましたが、勤務校での取り組みはそれ以上の刺激だったように思います。

 毎月夜に関ブロ会場校で集まって、あーでもないこーでもないとそれぞれのテーマについて話し合う会合があったり、そこから地域のサークルに顔を出すようになったり、もっと小さなところでは、同じ学年を担当していた先生とお互いに本当に頻繁に授業を見せ合ったりと、英語の授業についてじっくりと考える時間がたくさんありました。

 同じ学校の先生の授業を見る機会って、意外と少ないですよね。でも、同じような生徒から、自分がやっているときとは全然違う反応を引き出す先輩の先生方の授業を見て、すごく刺激を受けました。というか、そんな超忙しい時期に、(ぼくが初任者だったこともあるにしても)気軽に参観を許して下さり、もっといえばぼくの生意気な意見やアイディアに耳を傾けてくださったK先生に本当に感謝しています。初任者のぼくからでさえ、何かを学ぼうとするその姿勢に非常に感銘を受けました。ぼくも、そうありたいです。

 この頃のぼくの授業は、会話活動を中心に据えていました。

 いわゆる弾丸インプット形式のペアプラクティスで表現を練習し、トピックや場面を設定して、会話の練習をする、というスタイルです。「2S1Q」や「2S3Q」なんてアクティビティをやり始めたのもこの頃です。そのうちに文科省の研究開発学校の指定も受けたし、学区の小学校(の1つ)は毎日英語活動やってるし、ということもあって、基本的に生徒の反応はよい。だから会話活動がすごく活発にできていました。

 そういうのを求められていた(ように思う)のもあって、授業は音声がメイン。教科書から離れる活動も多かった気がします。なにせ、世間が週3時間のときに、堂々と週4時間やれる学校でしたから。おかげで、次の学校に異動したときにものすごく苦労しました。ああいう授業ができていたのはぼくの力ではなく、生徒と組織のおかげだったことを思い知ったのです。

 さて、この頃ぼくがこだわっていたのは小道具。

 授業を盛り上げる、深めるツールとして休日に東急ハンズに行っては、何か授業に使えるモノはないかと物色していました。今でも大活躍のALP(アシスタント・ランゲッジ・パペット)のTonyくんに出会ったのも、この頃です。

 どんな単純なパタンプラクティスでも、小道具によってゲーム性を持たせて、生徒を楽しく活動させることができる、と考えて、いろいろ使っていました。例えば「(映画監督用の)カチンコ」「早押しピンポンブー」「ぐるぐる回転ダーツ」「ビンゴマシーン」「ドラドラマイク」「パーティー盛り上げ効果音CD」などなど。その辺は「英語授業ハンドブック」でも多少紹介させていただきました。よろしければご笑覧下さい。

大修館 英語授業ハンドブック 中学校編 DVD付

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 あ、今でも「靜式ぐるぐるメソッド」をやるときには、「○×ピンポンブー」を愛用してますよ。ALT用とぼく用で2個買っちゃいました。厳しい評価をしても、雰囲気が重くならないのでオススメです。
○×ピンポンブー

○×ピンポンブー

 今だったら、そういうのを全部iPhoneひとつでできちゃいそうだけど、あのわかりやすいアナログな見た目も小道具の楽しさだから、あれはあれで「そのもの」を使うことに価値があるように思います。

 この頃のぼくは、とにかく授業が活発になればいい、と考えていました。生徒の発話量を増やすために、いろいろ腐心していました。いかに効率よく(そして楽しく)表現をインプットするか、そしてどれだけ生徒がその表現を使う機会を自然に設定するか、がポイントでした。もっとも、そういう意味ではアウトプット(風な活動)を通して、インプットした表現の定着をはかることに、その頃から意識はしていたようです。

 生徒や先輩教師にも恵まれ、1年目の私はとにかく「楽しく」授業をおこなうことができました。臨任時代の課題だった「生徒を動かす」ことにも慣れ、授業中に生徒を立ち上がらせて、活動させることにも不安はなくなっていました。ただもちろんそれは、担任の先生をはじめ学年・学校の先生方の生徒指導的な努力の上に成り立っていたのだと思います。

 次の年からは担任を持つようになり、英語の授業だけに力を注ぐことはできなくなりました。その辺の苦労や、次なる課題との闘いはまた次回に。

 それにしても思い出話だとエントリが長くなりますね。歳を取ったということかなぁ。まぁ、あんまりこういうことを自分から「話す」ことはないので、こんなところで「書く」くらい許して下さい。

 基本的に、自分のために書いてますからね、このブログも。