小学校英語は10年前の中学校英語を目指すのか?

 珍しく小学校英語のお話。

 個人的には「専科の教師による授業なら賛成、担任がやるのは反対」というスタンスでしたが、そういえばあまりそのことについて発言してきたことはなかったですね。残念ながら世の中の流れは私の考えとは違うところに流れ着いています。

 小学校の「外国語活動」の授業を参観するたびに、「10年前の中1の授業」を見かけることがよくあります。

 授業はいわゆる「ゲーム」「アクティビティ」が主流。書店にはその手の本が増えましたね。中身としては当時の中学校向けを小学生向けに書き換えたようなものが多い。で、別にそれはいいんだけど、時にゲームの仕掛けそのものの方が重要されていて、「英語を話す」目的や喜びが後回しになっている例があります。

 例えば、いわゆる「爆弾ゲーム」みたいなもの。輪になった子どもたちが箱を回していって、音楽が止まった時に箱を持っていた子に、全体が質問して答えてもらう、というゲーム。すっごく盛り上がるんだけど、当たった子どもは涙目で完全に「罰ゲーム」状態。当たらなかった子が「イェーイ」と歓声を上げる姿には、やはり違和感を覚えます。

 でも、10年くらい前は自分もそんなことやらせてなかったっけ? というか、当時はそういう授業ばっかり目にしていて、自分も「バトルシップ」とか、なんでもいいから英語を口にする仕掛けを作ろうと必死だった黒歴史を思い出します。もう少し言葉の意味やコンテキストを踏まえた活動が増えてきたのはここ5年くらいのようにも思います。小学校英語も、同じような道をたどっていくのだろうか?

 もうひとつ気になるのはあの大きな声。これも思い当たるところですけど。

 だいぶテンションの落ち着いた授業も増えてきたみたいですけど、やっぱり"Are you ready?","YEAHHHHHHHHHHH!"っての多いよね。さらに先生が"Loud voice!!!"なんて煽っちゃったりして。ま、気合い入れるのは構わないけど、その後の会話も「絶叫」だったりするのがすごい。この辺は先日某研修で全小学校長に直山調査官も釘を刺してたんだけど、まだまだ学校レベルのは浸透していない感じ。「ウォームアップ」と言っても、テンションを上げるのではなくて、「英語口」や「英語耳」モードへの切り替えを目指せば、もっといろんな活動ができそうなのに、と思います。

 ところが中学校教師なんかがそういうアドバイスをしようとすると、「小学校英語は違うんです!」とお叱りを受けることもよくあります。文科省の言う「定着を求めなくていい」という言葉が一人歩きして、むしろ「スキルを身につけさせてはいけない」くらいの空気を感じることもよくあります。その辺は小学校英語導入を実現するために文科省が現場教師に与えた「免罪符」なんだろうから、現場で奮闘している小学校の先生を責めるつもりはないけど、「能力の素地」というのには「能力」そのものは含まれないのだろうか、といつも疑問に思います。

 前にもどっかで書いたけど、小学校英語についてはみんな「一家言」あって、いろんな立場の人の意見を平等に聞いていたら、みんなから平等に不満を勝ち取る結果になってしまったような気もします。ある意味民主的ではあるんだけど、言語政策って本当にそれでいいのかな? 偏りは怖いけど、方向性は欲しいところです。少なくとも一番関わりの濃い公教育の「末端」で働く者としては、「やり方」は縛らないで欲しいけど、「ゴール」は明確に示して欲しいなと思います。

 それにしても小学校の先生って多才。ピアノ弾いたり、歌を歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、子どもを引きつける演技をしたり、と「英語教師」に備わっているといいなと思われるようなスキルをすでに持っている方が多いですね。そういったスキルが自然に活かせるような自然な授業が、広がっていけばいいなぁと思います。