みんなのせいで、みんなのおかげで

 またTwitter上でやりあってしまいました。前回と同じ人とです。今回は終始丁寧にお話をしたつもりですが、すっかり嫌われてしまったみたいで唐突にブロック(ぼくにはTweetを見えないように遮断すること)をされてしまいました。結構ショック。

 で、今回のやりとりを振り返って感じたことを。ちょっと長いです。

 今回も、きっかけは某氏が発していたTwitter上での「英語教師ネガティブキャンペーン」でした。こういうのにすぐカチンと来ちゃうんですよね。スルーできない性格なんです。おそらく先日の朝日新聞で千田潤一氏が挙げていた「教員のTOEIC推定スコア」なんかを紹介して「だから日本人は英語ができない」と繰り返していました。そもそも一部の英語教師のデータから「推定」した値であるし、もっといえばTOEICスコアが英語教師としての資質を測るものとして適切かどうか、という問題はあまり話題にはならないまま、数字だけが一人歩きしている感じがします。まぁ、千田氏としては自身のTOEICセミナーが儲かるかもしれないから、それでも構わないでしょうけど。

 ただ(数字の真偽はともあれ)英語教師の英語力に対する批判は真摯に受け止める必要があるでしょう。TOEICスコアが高ければ英語力があるとは言い難いですけど、英語力があって(それなりにトレーニングをすれば)ちゃんとしたスコアの出るテストではあるのでしょうから。私自身を含め、ビジネス界などの最前線で働く人たちに胸を張って言えるスコアを出せていない身としては、様々な風評に力強く反論するためにも、がんばらなければならないところです。

 とはいえ、なんだかいつまで経ってもすっきりしないのは、その英語教師叩きの背景に「英語教師のTOEICスコアが上がると、具体的に学校の英語の授業がどう変わるのか?(変わって欲しいのか?)」という提言がまったくないから。(一部)ご存知の通り、そういう厳しいことは大学院でセンセイにいっつも言われてるけど、センセイの言葉には「そうだな、がんばらなくちゃな」という気持ちになれる。それはきっと「ほら、そしたら、こういう授業ができるやろ」「この方が生徒の力伸びるやろ」というビジョンが明確に示されているからなんだと思います。

 (追記:えーっと、その後確認してみたら、「だから使えない日本人英語教師は全員クビにして、海外から連れてきた教師に指導させろよ」的な提言はTwitterで書かれてました。その提言に対する突っ込みは長くなるので本稿では控えておきます。)

 気になることがもうひとつ。

 日本人の英語力が(というか、少なくともTOEICスコアが)低いのは、本当に英語教師のせいなのでしょうか? 反対に言うと、生徒がTOEICで高スコアが取れたとしたら、それは誰のおかげなの?

 語学の習得にはそれなりの時間がかかります。その中で、私たち中学校教師が生徒の学習に関われるのは長くて3年。短ければ1年です。いろいろ手を尽くしてみたところで、中学卒業時点でTOEIC900点が取れるわけではありませんから、それぞれの「次の教育機関」を信じて、そちらにお任せするわけです。そうやって、様々な教育機関で英語を学び、個人の必要と現状に応じて、本を買って独学したり、TOEICに特化したトレーニングに通ったりしながら、それぞれの目標レベルへと到達していくわけです。

 そう考えると、その生徒の到達度というのは、生徒に関わる「みんな」のせいであって、「みんな」のおかげなんじゃないでしょうか。あ、この「みんな」にはもちろん、「学習者本人」も含まれます。

 この考え方にはとても危険なところがあって、ややもすると誰も責任を取らなくなってしまう「逃げ道」があるのは確かです。だから我々英語教師は、それぞれの立場でベストが尽くせているだろうかと、謙虚に自己点検することが求められます。まぁ、だから私もこの歳になって大学院にまで勉強しに行ってるわけで、多くの英語の先生方が本当に忙しい中、それぞれのスタンスでがんばっているのだと思います。

 TOEICスコアが上がったりすると、直前に受けたトレーニングや学習方法の成果だと実感しやすいものです。それだけの集中力と学習量を提供したわけですから、その「成果」は間違いのないことです。でも、そもそもTOEICを受けたり、英会話学校に通ったり、学習本を買うようなときには、確かなモチベーションが存在します。「こうなりたい」とか「こうならなくてはならない」といった希望や必要性がそれぞれにあるはずです。だから、効果的なトレーニングを適切におこなえば、個人差はあれどしっかりと成長していくことでしょう。その点では部活動の指導と似ているところがあるでしょうか。教科指導より、部活動の方が「成果」が見えやすいので、情熱を注ぎやすいという教師もいるかもしれません。

 でも、教科指導ではそう簡単には行きません。そのモチベーションを創り、育てるところからが私たちの仕事だからです。そして教室にはレギュラーも補欠もおらず、すべての生徒を指導・支援する必要があるからです。企業人などはよく「大卒の上位3割のTOEIC平均が860を超えるようにしてくれ」みたいに言うことがありますが、それは公立中学校にいる生徒の何%くらいに相当するのでしょうか。教室には生涯TOEICを受けることもないまま(高校も含めれば)6年間ひとつの教科として英語を学び続ける生徒もいます。「落ちこぼれ」も「吹きこぼれ」も作らないように、それぞれのニーズとレベルにあった指導をしていくのはなかなか大変です。40人の生徒を相手に地道にやっていても、なかなか目に見える成果がすぐにはでてきませんが、生徒の小さな成長を見つけては喜びながら、泥臭くがんばっていくしかありません。

 と、いろいろ自己弁護をしてきましたが、要するに何を言いたいかというと、次の2点。

 中学校で英語を教える人も、高校で英語を教える人も、TOEICセミナーで英語を教える人も、英語学習本を出す人も、「学習者の英語力をアップさせたい!」という目標は一緒なはずなんだから、お互いに悪く言うのやめませんか。

 義務教育の立場で関わる我々の責任が重いのは分かりますが、そんな我々ががんばって作った土台の上に立って、より高度なトレーニングを積み上げてるはず。単なる恨みつらみでなく、その立場だからこそできる建設的な提言をしてほしいです。

あなたが中学生の頃とは、学校の英語授業も少しずつ変わってきているから、現場批判の前に、ぜひ今の学校英語の現状をちゃんと調べる努力をしてみましょうよ!

 某氏がブログや書籍で「あまり知られていないけど効果的な学習手法」と紹介している「フォニックス」は、今では学校の授業でも取り入れられてる指導法だし、地域によっては小学校からフォニックスをしっかり学んでくるところもあります。「語源から考えたり、接尾辞や接頭語などで関連して語彙を増やす」なんて活動も、最近の学校の授業でもよく見かける場面です。歩みは遅いかも知れませんが、少しずつ前進しています。

 ふぅ。少しはすっきりしたかな。言いたいことを言えたから、というより、自分なりに「なんでこんなに頭に来るんだろう?」ってのが整理できたので、すっきりした感じ。某氏に伝わったかどうかは、もはやどうでもいいことかも。

 それにしても昨日の夜ブログ公開しないで、一日間を置いてよかった。これでも少しは頭が冷えて、やさしい文体になったと思います。(昨日、下書きして消した文面はひどかった(笑))即興性・即応性が問われるTwitterとは、やっぱり違うメディアですね、ブログは。

 とはいえ、すっかり懲りたので、しばらくTwitterではおとなしくしておこうっと(笑)