必死に「しがみつく」こと

 たくさんのコメントをもらったり、他のブログでも話題にしてもらったりと、少し波紋(?)が広がってしまいました。いつもお世話になっているブログ「英語教育の明日はどっちだ!」や「英語教育にもの申す」でも関連するエントリがありますが、同じ問題でも視点の角度や鋭さが違うと、見えてくる世界も違うものですね。共感しながらも、はっとさせられる記事ばかりでした。すごく勉強になりました。

 とはいえ、多くの方々には「いまさら」な話題をスルーできずに不毛な議論に巻き込んでしまったような気もして反省。こういう経験をして、私も大人になるんだと思います。こうやって「誰かの成長のため」に同じような議論が、繰り返されるのかもしれません。(そう思えば、今後あたたかく見守れるかな)

 で、もうひとつだけ気になることが残ってたので、最後にそれについてだけ。

 今回の議論の中で、先方から「既得権益」という言葉が何度も出てきました。我々現場の反論に対して、「英語教師は『既得権益者』だから、みんな自分の身を守るために必死になって反論しているんだ」という批判が返って来ました。最初、この意味がよくわからなかったのです。

 結局よく読んでみると、「今いる日本人英語教師を全部クビにして、アジアからTESOLを学んだ人たちを連れてきて、その人たちに英語の授業をやらせればよい」というご提言みたいなので、そういう事態になったら、確かに我々は職を失うことになるわけで、そういう意味で我々が反論している姿は「既得権益にしがみついている」ように映るわけです。なるほど。

 まぁ、そのご提言がどれくらい意義があるかは、ぜひどっかで検証していただくとして、そういうニュアンスは教師批判によくある味付けです。そこまで極端なことは言わなくても、がんばらなくても(成果が上がらなくても)クビにならない(給料も減らない)公務員は企業に比べて甘えている、というご批判は常に存在します。先日Twitter上でも「教師は『成果』の概念がない」みたいな熱い論争が企業人と教師(←ぼくじゃないですよ)の間で繰り広げられていました。

 でも、今の学校現場の大変さはホントに異常です。「授業どころじゃない」という学校が、どれだけ多いことか。今回の件を通して、こういうことを学校教育関係者以外の人たちにちゃんと伝えていかなくちゃ、と考えるようになりました。「教師密着24時!」みたいなテレビ番組作ってくれればいいのに、ってずっと思ってたけど、さすがにリアルタイムなものは放送できないだろうなぁとも思います。そこが難しいところ。

 だから教師は、決して甘えで「しがみついている」わけじゃない。むしろ、困難な場所から逃げずに、振り落とされないように必死に「しがみついている」という意味での方が正しい。

 たぶん教員の中には、「少しくらい給料減ってもいいから、教員増やして欲しい」って言う人も少なくないと思います。重い荷物はみんなで持ちましょうよ。そんなこと言うとむしろ、「そんなの給料が安定してもらえる既得権益者だから言える甘えた発言だ」とまたご批判いただくのでしょうか。

 でも、それくらい安定しててもらわないと(お金とか職のこととかあんまり考えないで済むようでないと)教師は現場の仕事に集中できないですよ。自分の生活がどうなるか不安な人たちに、生徒(他人)の生活を心配して支援していくことを求めるのは酷でしょう。ただでさえ、困難な学校で働く先生たちの生活は(金銭面というより)時間的・精神的な意味で、すごく不安定なんですから。

 だから、非常勤講師の立場なんかでがんばってくださっている先生方はすごく大変なんです。でも、最近の教育行政はそういう人たちを多く生み出しちゃっている。臨時的任用や非常勤講師の人たちを多く雇って「教育にお金かけてます」と自慢げに語る自治体もあるけど、正規雇用を増やしていかないと、本当の意味で教育効果は高まっていかないと思います。実際非常勤なのに、正規雇用と同じくらい(あるいはそれ以上の)働きをしてくださっている方々に支えられている学校もたくさんあるのです。(←あ、だから自治体は気づかないのか…哀しい矛盾)

 現場は本当に人を求めています。若い戦力や、企業などを経験した異業種の人たちや、TOEIC990点の優秀な方々みたいな「力持ち」な人たちが加わってくれるなら、本当に大歓迎です。授業ももちろんですが、一緒に「教室を飛び出した子を追いかけたり」「窓から投げ捨てられた牛乳を片付けたり」しようよ。

 和田中の夜スペが話題になった時も書いたけど、学校が民間の力を借りていくことはこれからさらに大切になると思います。でもどうして「学習」の部分を「塾」に任せちゃうのか、が疑問でした。教師が学習指導に専念できる環境を作るために、民間の力を借りることが筋じゃないのか、と思います。あれじゃ、昼間の授業の価値を貶めることにしかならない。

 だから「学校の仕事は授業だけじゃないんだ」という反論をするのは、実はあまり好きではないんです。「授業より大事なものがある」みたいな考え方をする先生もいらっしゃいますが、むしろぼくは学校批判の方々がよく言う「成果」で勝負させてくれ、と言いたい方なんです。でも、それはもちろん生徒が落ち着いて、安心して学ぼうとする物理的・心理的な環境が整ってこその話です。そこを作るために、日々奮闘しているわけです。

 繰り返しますが、学校現場のことを、学校関係者以外の人たちにもっと伝えていく必要性を感じています。新聞に特集記事が載ることもありますが、どうしても極端な例が多い。でもそれはすごく「特殊」な話ではなくて、身近に、程度の差こそあれ結構大変な状況が広がっていることを、知ってもらわなくちゃ。でもそれが愚痴にならないように表現するのが難しい。だから、学校関係者以外の人に語ってもらいたいんですよね。

 企業等で働く方々も、質は違えど同じように過酷な環境で働いているんだと思います。子どものことで連絡を取ろうにもなかなかつながらなくて、かなり帰りの遅い保護者もたくさんいますから、なんとなく想像はできます。そしてそういう人たちが日本の「最前線」でがんばっているのもわかります。そういう人たちに比べれば、私たちの仕事はローカルで、対処的で、視野が狭いように映るかも知れません。でも、そんな最前線に人材を送りだすベースとして、義務教育が担っている役割は大きいと自負しています。攻めも守りも、大切なはずです。

 だからぼくは、これからも必死にしがみついていこうと思っているのです。