もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、ギターを第1言語としない日本では、学校でのギター教育が課題に。以下、いろいろな試行錯誤を繰り返す。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、中学校では楽譜をタブ譜に置き換える「訳読」が授業の中心になる。授業中、ギターはあまり弾かない。小学校でピアノとかやってて楽譜読めるヤツが神。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、訳読ばかりでギターを使ってないという批判から、徹底したパタンプラクティスが全盛になる。みんなひたすらいろんなパタンでコードチェンジ。ちょっと退屈。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、実際に使わないと弾けるようにならないよね、ということで、とにかく好き勝手にギターを鳴らす授業が増える。ちょっとくらいコードが違ってもいいじゃん。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、6年間中高でギターを習ったのにバンド組んでも全然即興でジャムれないという産業界からの批判が起こる。ギター教育改革が始まる。「ギターが弾ける日本人」の育成を目指す。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、ついに小学校ギター活動がスタート。でもコードを教えたり、アルペジオを教えちゃいけません。ただかき鳴らして親しむことで素地を作る授業。エアギターもブームに。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、エレキ派とアコースティック派の対立が深刻になる。他にもアルペジオ至上主義派や、ギターソロ原理主義と、いろんな流派が生まれる。学校外でのギター教室も隆盛。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、「もうギターは国際語ですから、コードなんかだいたいでいいんです。AでもAマイナーでも通じるから大丈夫」と主張する人も。Fはどの国の人も苦手だから、使われなくなる。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、高校ではギターはギターで教えることを原則とする、ようになる。勘違いして授業中ひたすらギターソロを生徒に聴かせる教師も現れる。結果として生徒はギターをあまり弾かなくなる。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、教室にいる40人の生徒を1人の教師とネイティブのミュージシャンで指導するのが基本。実技指導のフィードバックなんて難しいよね。一方でグルグルと個別に指遣いをチェックする指導法も登場。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、教員のギター演奏力不足が問題になり、生徒がギターを弾けないのは、教師がCD並みのプレーができていないからだ、という批判が巻き起こる。免許更新講習はじまる。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、TOGIC(Test Of Guitar for International Communication)がやたら人気になり、企業の採用や昇進にスコアが利用されるようになる。でもこのテスト、実際にギターは弾かない。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、Yahoo!知恵袋に「この楽譜をタブ譜に書き換えて下さい」という投稿が大学入試中になされ、話題に。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、経済格差により小さい頃からギター教室に通う子が有利になったり、ギターを買えない家庭なども出てきて社会問題に。「子ども手当」としてギターが現物支給される。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、ギター以外の楽器はどうなるんだ!と「ギター帝国主義」を嘆く言説も。マンドリンだって、バイオリンだって、ウクレレだって、縦笛だっていいじゃないか。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、ギターを通しての人間教育こそが大切ということになり、意欲関心態度が何より重要視される。ギターに触れた数を数えたり、ストロークの数で意欲をカウントする教師も。

 もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、日本のギター教育のさらなる充実を目指して、一人の男がブログを立ち上げる。その名も「ギター教育2.0」 現在は大学院でピコピコされながらギター授業道の修行に励む。
 
 と、勝手にいろいろ妄想してみましたが、みなさんの方がもっと面白い喩えが思い浮かぶかも。いいのがあったら、コメント欄にどうぞ。あ、あとで思いついたら随時加筆予定です。予めご了承ください。

 もしギターが言語だとしたら、「ギターを弾ける」というのは、何が出来ることなのか? 何かの曲をコピーできること? 楽譜を見ればすぐにどんな曲でも弾けるようになること? 自分で自由に簡単な曲が即興で弾けること? 相手の出したリズムやコードに合わせて、ジャムれること? いろいろ考えてしまいます。

 個人的には、「コピーする能力」と「作曲できる能力」あるいは「ジャムれる能力」はまた違ったスキルだと思います。作曲と言っても、もちろん別に名曲である必要はないでしょう。どっかで聞いたことのあるリフをうまくつなげて、心地よい響きにできればいいわけで、基本的なコード進行(ディスコース)を理解して演奏できることが求められます。

 とはいえ、下の英文の記事でも書きましたが、「一曲も完璧にコピーはできないけど、ギターで作曲できる」という人はいないでしょう。そう考えると、もっとしっかりとコピーさせる練習をさせるべきだな、と感じています。実際、一曲をマスターする中で、基本的なコードの押さえ方、コードチェンジのパタンなどをずいぶんメタに学べています。そういういい教材を、生徒に与えて行かなくちゃなぁ、とも考えています。

 実際のミュージシャン達は、音楽が好きで勝手にバンドを始めて、好きな曲をコピーしているうちにimplicitにコードを覚えて、オリジナルを書くようになる。でもこれは意欲も能力も適性もあったからこそなわけで、これが公教育で「全員が弾けるように」ということを求められると、どう指導すべきか悩むところです。当然、ある程度explicitに教え込むことも大切でしょう。中学時代はしっかりとコピーに励み、高校で作曲や即興演奏って流れが自然に思います。

 もちろん、ギターと本来の言語の異なる点はたくさんあるのはわかっているんですが、最近この喩えにハマっていて、なんでもこれに置き換えてしまうのです。まぁ、ご愛敬ということで。