英語科から「コミュニケーション能力」を取り除こう

 一応やるべきこともちょっとは進んでいるので、たまには息抜きで戯言でも書いてみます。限りなくThink Aloudな感じの文章ですので、読みにくいのはご容赦を。
 
 「コミュニケーション能力」がわかりません。

 最近気がついたんですけど、「コミュニケーション能力」という言葉は、国語科の学習指導要領には載ってないんですね。びっくりしました。英語科にあるのはまぁいいとしても、国語科にないってどういうことなんだろう。たぶん同じような文脈で使われているのは「伝え合う力」なんですが、果たして同じものを指しているのでしょうか。少なくとも、「コミュニケーション能力」という言葉は学校というコンテクスト以外でも広い意味で使われる言葉なので、しっかり定義しないと、これって英語科だけで鍛える類のものなのか、ということになってしまいます。

 人と人とが出会えば、そこに「コミュニケーション」が生まれるのはわかります。でもそのコミュニケーションを創り上げる能力、というのは、「ひとりの属人的な能力」なんでしょうか。仮にそうだとしても、常に相手の能力との総和でその方向性や質が変化するものだとしたら、それを切り取って評価することって本当に可能なんだろうか、と思います。英語科でいう「コミュニケーション能力」を、もう一度考え直してみようと思いました。

 ちょっとクセモノなのが、学習指導要領における外国語の「目標」です。ここで初めて「コミュニケーション能力」って言葉が登場するんですけど、そこでは

外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め, 積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くこと, 話すこと, 読むこと, 書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養う

とあります。この部分に限らず、読点がいっぱいで読みにくい学習指導要領ですが(文部科学省の「コミュニケーション能力」が問われますねw)、赤字の部分だけを「コミュニケーション能力」と定義してるのであれば、文字通り外国語で理解したり、表現したりするための技能を指してますから、授業で指導しやすいんですけど、他の部分を読む限り、その前の「言語や文化に対する理解」や「 積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」も含むようです。でも、それって中学校で学ぶべき英語科の目標全部ですよ(笑)じゃ「中学校英語科力」でいいじゃん。

 前に「適切さと正確さ」について書いた時にも触れたけど、英語科における「適切さ」って、「空気読めるか」みたいな広い意味での「コミュニケーション能力」(いわゆる「コミュ力」)ものまで含んでる気がして、それってどこまで教科で扱うべきことなんだろう、って思ったけど、あらためて英語科の「コミュニケーション能力」って、広い意味での「コミュ力」より、国語科の「伝え合う力」より、大きなものを指してそうな気がしてきましたね。

 うーん、きっとコンテクストのないところで英文和訳をさせたりするような授業から遠ざかりたい一心で、こんな言葉を使うようになったんじゃないか、と勝手に思ってるんですけど、この「コミュニケーション」という言葉がかえって誤解を生んだりしてて、状況をややこしくしてしまっている気もします。考え過ぎかな。

 というわけで、思い切って提案するんですけど、この「コミュニケーション能力」って言葉を、一度英語科の枠組みから外しませんか。

 学習指導要領が変わるたびに新たなキーワードが踊りますが(我々教員は踊らされますが)、最近は新たに「思考力」「判断力」「表現力」という言葉が、全教科で言われるようになって来ました。ん?「コミュニケーション能力」ってこういうのと同じdimensionのものなんじゃないか、と思ったんです。全教科領域で扱うべきことですよね。それを裏付けるかのように、今回から全教科で「言語活動の充実」なるものが求められるようになりました。ここで育成したいのって、まさに(L1/L2を問わず)「コミュニケーション能力」じゃないですか。

 で、そのぶん、教科ではスキルと知識をしっかりと身につけさせる。「コミュニケーション能力」という言葉のせいで、なんとなくあいまいになっていたゴールが、その方がはっきりとするし、教師同士、教師と生徒でイメージを共有できるものになると思うんです。

 もっとも、「思考力」「判断力」「表現力」でさえ、各教科の評価の部分にまで踏み込んできはじめている現状を見ると、そんなことしたら全教科で「コミュニケーション能力」を評価することになっちゃう危険性もあるんですけどね(笑)くわばらくわばら。