容れ物を与えて中身を考えさせるのか、中身を与えて容れ物を考えさせるのか

 教育実習生が来ています。指導しながら、改めて考えさせられることが多いですね。今日は、現在完了(継続用法)のアクティビティについて考えている時、またしてもいわゆる「自己表現」的な活動の限界を考えさせられました。

 まぁ「自己表現」と呼ぶのはちょっと大げさかもしれないけど、実習生が考えた活動は新文型を使っての「例文づくり」でした。具体的には現在完了を使って、自分に関する事実を表現させたい、とのことでした。ヒントというかキューとしてhaveとかsinceとかを与えておいて、コンテントの部分を自分で考えて英文を書く(or話す)という活動のようです。

 まてまて、それじゃフォーカスが逆でしょ。

 本来一番注意を払って欲しいのは、コンテントではなく定着させたい文構造の方なわけで、「文の中でhaveとかsinceとかを適切に使えるかどうか」を練習させたいはず。それなのに、先にhaveとかsinceをこちらから与えちゃったら、考えながら使わないじゃん。

 つまり、

(  ) have lived (  )(  ) since (  ).

の (  )内を埋めさせるんじゃなくて、

I (  )(  ) in Saitama (   ) 1998.

の(  )内を考えながら話させたい、というイメージ。容れ物を与えて中身を考えさせるのか、それとも、中身を与えて容れ物を考えさせるのか、ということです。

 もちろん、これは練習の段階にも依ります。でも今回のように新しい文構造導入後早い段階での練習であれば、パタン・プラクティスに代表されるように、コンテントを一方的に与えて構造に当てはめながら話す(書く)作業が大切なはず。そもそも「何について言おうかなぁ」とか「◯◯って何て言うんだっけ?」なんて言ってる間に5分くらい経ってしまうことを考えると、その5分で100回くらいこちらで与えたコンテントについての英文を言わせた(書かせた)方が、よっぽど練習になる気がします。

 そういう意味では、いわゆる「自己表現」は授業の中で扱うのはちょっと時間がもったいないかも。主に文字ベースで取り扱うようにして、家庭学習ノートなり、宿題なり、授業の「周辺」に位置づけさせたほうがいいかも知れません。音声で扱うとしたらもっと難しい。生徒数が5人〜15人くらいの少人数でないと、適切なフィードバックは難しいですもんね。

 繰り返しになりますが、練習の段階では「正解のある自己表現」を大切にしませんか。内容が自分に直接関わってなくても、自分で考えて、自分で語彙や表現を選んでアウトプットした表現なら、立派な「自己表現」だと思います。

 定着させたいのは、「容れ物」の方のはずです。